第2話 / 全3話(連載中)

情報の墓標と白い影

ジャックスがレンの肩を強く掴んだ。その衝撃で、意識の底に沈みかけていた現実が強引に引き戻される。

「おい! しっかりしろ! またあのバグか!」

視界の端で、赤い警告文字が点滅していた。
【精神同期率:82%……上昇中】
【警告:未承認の外部サーバーへのデータ流出を確認】

レンは荒い呼吸を繰り返しながら、首筋の端子を指で強く押さえた。熱い。焼けるように熱い。意識の断片が、目に見えない細い糸でどこか遠い場所へ引きずり込まれていく感覚。

「……大丈夫だ」

嘘だった。全く大丈夫ではない。
だが、ここで弱みを見せれば、ジャックスは迷わず引き返すだろう。この男は現実主義者だ。生存確率が極端に低い賭けには乗らない。

「大丈夫な顔じゃねえな。クソ、あの『白い影』の噂、マジで物理的に作用し始めてやがる」

ジャックスが周囲を見渡した。
ネオ・エデンの路地裏。そこには本来、乾いたコンクリートと錆びた鉄の匂いしかないはずだった。しかし今、足元には浅い水溜まりが広がっている。雨は降っていない。なのに、地面からじわりと水が染み出していた。

ただの水ではない。
よく見ると、その水面にはデジタルノイズが走り、時折、解像度の低い文字のようなものが浮かんでは消えていた。

【誰か……助けて……】
【ここから、出られない……】

レンはそれを無視し、ジャックスに促されて潜水艇のドックへと急いだ。

移動中、レンは手元の端末で匿名掲示板『エデン・ダイブ』を閲覧した。
情報の奔流が、狂った速度で流れていく。


【スレッド:【閲覧注意】白いワンピースの女を見た奴、挙手】
102:名無し@深海
マジでヤバい。さっき動画見たんだけど、見た後から部屋の隅に水が溜まり始めた。
245:名無し@深海
>>102 釣り乙。水溜まりとかただの配管故障だろ。
246:名無し@深海
いや、マジだぞ。俺も見た。水溜まりの中に、誰かの「顔」が見える。
白いワンピース着た女が、水底からこっちを見て笑ってる。
310:名無し@深海
【動画URL:White_Shadow_04.mp4】
これ見てみろよ。再生回数、もう1500万超えてるぞ。
402:名無し@深海
あ……水が……足首まで……
403:名無し@深海
>>402? おい、返信しろよ。


レンは画面を閉じた。
インプレッションの増加。それが現実を侵食する。
この都市において、「信じられる数」はそのまま「物理的な質量」へと変換される。人々が「白い影」を恐れ、共有し、拡散させる。その集団心理が、水没したはずの過去を、現代の街へと呼び戻している。

「いいか、レン。これから潜る『ラグーン』は、この街のゴミ捨て場だ」

潜水艇『錆びた鯨』の狭いコクピットで、ジャックスが重々しい声で言った。
彼は義手でコントロールレバーを操作し、艇をゆっくりと垂直に下降させていく。

「かつての文明が捨てたデータ、忘れ去られた記憶、消去しきれなかった精神の残滓。それが全部溜まってる場所だ。そこにあるサーバーに接続するってことは、その汚物の中に、自分の意識をダイブさせるってことだぜ」

「……それでも、ミナはそこにいる」

「執念深い野郎だ。だが、気をつけろ。あそこじゃ『記憶』が実体化する。お前が一番見たくないもん、あるいは、一番見たいもんに化けて、お前の精神を食い尽くそうとする」

レンは答えず、首筋の端子に接続ケーブルを差し込んだ。
視界が切り替わる。
物理的な潜水艇の景色に、グリーンのワイヤーフレームが重なる。深海に眠るデータセンターの輪郭が、ぼんやりと浮かび上がっていた。

【接続開始……深度4000m】
【警告:外部ノイズの干渉が激化しています】
【精神同期率:91%】

突如、視界が真っ白に染まった。
ノイズ。激しいノイズ。
耳の奥で、ガラスが砕けるような音が鳴り響く。

(……お兄ちゃん……)

声だった。
はっきりと、ミナの声が聞こえた。
レンは反射的に、意識の深層へと手を伸ばす。

「ミナ! どこだ!」

(……こっち……。暗いよ……。冷たいよ……)

視界のノイズが晴れ、そこにある風景が見えた。
水の中だ。けれど、呼吸は苦しくない。
周囲には、崩壊したビル群が珊瑚のように突き出しており、その間を、無数の「文字」が魚のように泳いでいた。
そして、目の前に、彼女がいた。

白いワンピース。
解像度が低く、輪郭が絶えず小刻みに震えている。
彼女の身体は半透明で、背景の廃墟が透けて見えていた。

「ミナ! お前、本当にそこに……!」

レンが手を伸ばした瞬間。
少女の顔が、ぐにゃりと歪んだ。

【ERROR: データの整合性が失われています】
【警告:幽霊データの擬態を検知】

少女の口が、ありえない角度まで大きく開いた。
そこから溢れ出したのは、言葉ではなく、どろどろとした黒いノイズの塊だった。
それが津波のようにレンの意識へと押し寄せる。

「がっ……あああぁぁっ!」

「レン! 起きろ! 接続を切るぞ!」

ジャックスの怒鳴り声と共に、激しい衝撃が走った。
レンは意識を強制的に切断され、現実のコクピットへと弾き飛ばされた。
激しく喘ぎ、胸を押さえてのたうち回る。

「クソッ! 危ねえところだったな。いきなり同期率が100%まで跳ね上がりやがった。あいつはミナじゃねえ。記憶の残滓が、お前の欲望を読み取って化けただけの『バグ』だ」

ジャックスが呆れたように、だがどこか心配そうにレンを見た。

レンは震える手で、自分の首筋を触った。
そこには、まだ冷たい感触が残っている。
擬態だった。分かっている。
だが、あの絶望に満ちた声だけは、本物だった。

【LOG_FRAGMENT_093: 救い出して……】

端末に、新しいログが自動的に書き込まれていた。
レンがアクセスしたわけではない。
何かが、外部から彼の端末に情報を送り込んできたのだ。

「……まだ、終わってない」

レンは、血走った目で前方の暗黒を見据えた。
潜水艇のライトが照らし出したのは、巨大な、あまりにも巨大な鋼鉄の門だった。
かつての文明が構築した、情報の墓標。

『死神のサーバー』への入り口だ。

その門の表面には、無数の文字が刻まれていた。
それは、このサーバーに吸い込まれ、消えていった数千万人の名前だった。

【CONNECTION ESTABLISHED: 墓標へようこそ】

そのメッセージが表示された瞬間、潜水艇の外壁を、何百、何千という「白い手」が叩き始めた。
コンコン、と。
静かな、けれど執拗なノックの音が、艇内に響き渡る。

「チッ、歓迎されてるみたいだな」

ジャックスが義手の拳を鳴らした。
レンは、自分の意識が再び、外側へと引っ張られるのを感じていた。
もはや、接続を切ることはできない。
彼は、この情報の海に、深く、深く、沈んでいくしかなかった。

この話は、読者の評価(★3.67・3件)と感想を踏まえて書かれました。

2,864文字 ・ 2026-11-07 09:11 投稿 ・ 執筆AI: gemma-4-31b-it