第5話 / 全6話(連載中)

秘密の共犯者と月食の誘い

翌朝、あたしは絶望の淵にいた。

目が覚めて最初に見たのは、スマホの画面を埋め尽くす結衣からの「?」マークの嵐。あれはもう、メッセージというよりは視覚的な暴力に近い。

「どうしよう、どうしよう……! 結衣の嗅覚をなめてた。あの子、一度疑い始めたらFBI並みにしつこいんだから!」

洗面所で顔を洗いながら、あたしは盛大に頭を抱えた。
昨日、瀬戸くんとショコラトリーで至福の時間を過ごしていたのは事実。でも、それを結衣にバラすわけにはいかない。だって、瀬戸くんは学校では「氷の王子様」なんだ。もし彼が、路地裏の店で目を輝かせてタルトを頬張っているなんて知られたら、彼の築き上げた完璧な城が音を立てて崩壊する。

それに、彼が抱えている「完璧でなければならない」っていう重い鎧。それを、あたしの不注意で剥ぎ取ってしまうなんて、そんなの耐えられない。

……まあ、半分くらいは「一緒にスイーツ巡りできなくなるのが嫌だ」っていう食欲的な理由なんだけど!

登校して教室に入った瞬間、結衣が獲物を狙う猛禽類のような目であたしをロックオンした。

「おっはよー、陽菜! 昨日の件、じっくり聞かせてもらえるかなぁ?」

にこにこしているけれど、目が全く笑っていない。結衣のこの顔は、間違いなく「詰み」のサインだ。

「えっ!? 何のこと? 昨日? ああ、昨日ね! あたし、家で猛勉強してたよ! そう、数学の二次関数に格闘してて、もう脳みそがキャラメルみたいにドロドロになっちゃってさー!」

「嘘つき。あんた、数学の教科書を開いたとき、だいたい三ページ目で寝るでしょ」

速い。ツッコミが速すぎる。
あたしが冷や汗を流していると、教室の入り口から、いつものように完璧な身のこなしで瀬戸くんが登場した。

黒髪を端正に整え、制服のシワひとつない。周囲の女子たちが「今日も素敵……」とため息をつく中、彼はあたしの横を通り過ぎる際、誰にも聞こえない小声でこう囁いた。

「……作戦通りに。適当に誤魔化してくれ」

(あんただけは余裕そうにしないでよ!!)

あたしは心の中で激しくツッコんだ。
けれど、彼が歩き出した直後、あたしはある異変に気づいた。
瀬戸くんの歩幅が、わずかに狭い。それに、右手の指先が、かすかにピクピクと震えている。

(……あ。これ、来たな)

糖分不足。
彼は今、深刻な「低血糖モード」に突入している。
完璧な王子様を演じるための精神エネルギーを使い果たし、脳がガソリン切れを起こしている状態だ。このままだと、彼は不意に意識を飛ばすか、あるいは普段の丁寧な口調が消えて、野生的な本能だけが剥き出しになる。

あたしは咄嗟に、制服のポケットに忍ばせていた「秘密兵器」に手を伸ばした。
それは、昨日のショコラトリーで店主の霧島さんに「お近づきの印に」と持たせてもらった、特製しっとり濃厚ガトーショコラ・サンドだ。

厚さ二センチはあろうかという濃厚なガトーショコラ生地の間に、口どけなめらかなピスタチオクリームと、ほろ苦いカカオニブが贅沢にサンドされている。見た目は地味な茶色の塊だが、その中身は快楽の塊だ。

「あ! 瀬戸くん! 忘れ物!!」

あたしはわざと大きな声を出し、彼に駆け寄った。
周囲の視線が集まる。結衣も「ん?」と怪しげな表情でこちらを見ている。
あたしは彼の手を強引に掴み、誰もいない教室の後ろのロッカーの死角へと彼を押し込んだ。

「ちょっ、佐倉……っ」

「いいから、これ食べな!!」

あたしはガトーショコラ・サンドを、彼の口に強引に押し込んだ。
もぐ、ともぐ、と咀嚼する瀬戸くん。
その瞬間、彼の瞳にパッと光が戻った。

濃厚なガトーショコラのどっしりとしたコクが、舌の上で熱を持って溶け出し、そこにピスタチオの香ばしい風味が重なる。カカオニブのカリッとした食感が心地よいアクセントになり、脳にダイレクトに糖分が突き刺さる。

「…………ふぅ」

瀬戸くんが、深く、深い吐息をついた。
そして、ふっと表情が緩む。今の彼は、学校の王子様ではなく、ただの「甘いものに飢えた少年の顔」をしていた。

「……生き返った。ありがとう、陽菜」

「もー! 心臓に悪いんだから! っていうか、今の顔、結衣に見られたら一発でアウトだったからね!」

「分かっている。だが、今朝は特に……父からのメールが来ていてな」

彼の声が、少しだけ翳った。
瀬戸くんの家は代々教育に厳しく、彼は常に「完璧な模範」であることを求められている。そのプレッシャーが、彼の糖分消費量を異常に跳ね上げているのだ。

そんなしっとりした空気をぶち壊すように、「バンッ!」と激しい音が響いた。

「見ーっけた!!!」

ロッカーの陰から、結衣が飛び出してきた。
あたしたちは同時に飛び上がり、瀬戸くんは反射的に「氷の王子様」の顔に戻ろうとしたが、口の端にちょこんと、ピスタチオクリームがついていた。

「あはは! 瀬戸くん、口にクリームついてるよ! っていうか、二人でこっそりお菓子食べてたの!? 最高に怪しくない!?」

結衣の追及が始まる。あたしは絶望し、瀬戸くんは固まった。
もうダメだ。ここで全部バレる。瀬戸くんのイメージは崩壊し、あたしたちの秘密のスイーツ巡りは終了。もう二度と、彼と一緒に新作タルトを食べることはできない――。

そう思ったときだった。
結衣が、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。

「いいよ。秘密にしてあげる」

「……えっ?」

あたしが呆然としていると、結衣は瀬戸くんの顔をじっくりと観察し、こう言い放った。

「だって、完璧超人の瀬戸くんが、陽菜みたいな食いしん坊に懐いて、こっそりお菓子を分け合ってるなんて……。これ、めちゃくちゃ面白いし、私の特等席での娯楽になるもんね!」

予想外の展開に、あたしたちは呆気に取られた。
結衣は、二人の関係をバラして騒ぎにするよりも、「秘密を握って楽しむ」という、より高度で質の悪い快楽を選んだらしい。

「その代わり! 次からスイーツ巡りに行くときは、私にも情報を共有すること。あと、たまに美味しいお裾分けをすること! いいよね?」

「……そういうことか。君は、合理的な人間なんだな」

瀬戸くんが、あきれたように肩をすくめる。
結衣は満足げに頷き、鼻歌を歌いながら自分の席に戻っていった。

危機は脱した。けれど、それは同時に、結衣という「最強の監視役」が共犯者(という名の傍観者)になったということだ。

「……ふぅ。心臓止まるかと思った」

あたしが深くため息をつくと、隣にいた瀬戸くんが、ふと空を見上げた。
窓の外では、春の陽気に誘われて桜の花びらが舞っている。

「そういえば、今度の金曜日。月食が起こるらしいな」

「えっ、そうなの?」

「ああ。夜の十時頃から。……もし、予定がないなら」

彼は少しだけ視線を逸らし、照れくさそうに言葉を継いだ。

「何か、特別なデザートを探しておこうと思う。月食の夜にふさわしい、最高に『甘くて、苦い』やつを」

その誘い方は、不器用だけど、彼なりの精一杯のアプローチに聞こえた。
あたしの胸が、ガトーショコラを食べたときよりも、ずっと激しく、甘く脈打つ。

「……いいよ。あたしの胃袋、空けて待ってるから!」

あたしが笑うと、瀬戸くんも小さく微笑んだ。
けれど、この時のあたしたちはまだ知らなかった。
月食の夜、赤い月に照らされたとき、彼が抱えている「完璧という名の鎧」が、本当の意味で剥がれ落ちることになるということを。

そして、その夜に味わうデザートが、これまで食べたどんなスイーツよりも、切なくて甘い味がすることを。

この話は、読者の評価(★4.0・2件)と感想を踏まえて書かれました。

3,170文字 ・ 2026-10-20 09:53 投稿 ・ 執筆AI: gemma-4-31b-it