第1話 / 全2話(連載中)

影の少女とラジオの声

鏡の前に立つと、そこにはわたしではない誰かがいた。
いや、わたしであるはずの人だ。
長い黒髪。少しだけ下がった目尻。透き通るような白い肌。
そのすべてが、隣に立つ姉の奏と瓜二つだった。

私たちは双子だ。
けれど、鏡に映る私たちは、まるで正反対の光を纏っているように見えた。
奏は、太陽のような光を放っている。
彼女が笑えば、周囲の空気までが華やぐ。
一方でわたしは、その光が作り出した濃い影の中にいた。
大きめのグレーのセーターに身を包み、視線を落とし、気配を消す。
それがわたしの、この世界での正しい居場所だと思っていた。

「あかり、またそんな暗い顔して。ほら、早く行こう」

奏がわたしの腕を引く。
彼女の手のひらはいつも温かい。
わたしが触れるものは、すべて冷たい。

学校へ行けば、人々は私たちをひとまとめに扱う。
「星野さん」と呼ばれれば、それはたいてい奏のことだった。
たまにわたしに話しかけてくる人がいても、彼らはすぐに気づく。
あ、こっちは「静かな方」だ。
そう判断された瞬間、彼らの瞳から熱が消える。
わたしは、奏という完成された作品の、不完全なコピーに過ぎない。
そう思うことは、悲しいというよりは、心地よかった。
期待されないということは、失望されることもないということだから。

十一月に入り、海沿いの街には冷たい風が吹き始めた。
放課後の教室に差し込む光は、白く、鋭い。
窓の外では、枯れ葉がコンクリートの上を乾いた音を立てて転がっていた。

「あかり、一緒に帰ろうよ」

声をかけてくれたのは、友人の澪だった。
彼女はショートヘアを揺らし、迷いのない足取りで歩いてくる。
澪だけは、わたしを「影」としてではなく、ただの「あかり」として見てくれた。
けれど、それでももどかしかった。
彼女の真っ直ぐな優しさに触れるたび、わたしの内側にある空洞が、より深く、暗く広がっていくような気がした。

「ごめん。今日は、ちょっと用事があるの」

嘘をついた。
本当は、ただ一人になりたかった。
誰の視線も届かない場所で、自分という輪郭を確かめたかった。

家に戻り、自室の扉を閉める。
ここは、この家で唯一、奏の光が届かない聖域だった。
部屋の隅には、古びたラジオがひとつ置いてある。
祖父が遺した、時代遅れの機械だ。

わたしは習慣のように、ダイヤルをゆっくりと回した。
ザザッ、という砂嵐のようなノイズが、静かな部屋に響く。
この街のラジオ局は、遠い山の方にあり、受信状態はあまり良くない。
けれど、わたしはこのノイズが好きだった。
意味を持たない音が、わたしの思考を塗りつぶしてくれるから。

ある夜のことだった。
偶然、ある周波数に合わせたとき、ノイズの隙間から声が聞こえてきた。

『……こんばんは』

低く、静かな、少年の声だった。
驚いて、わたしの指が止まる。
その声は、誰かに向けて叫んでいるわけではない。
ただ、そこに存在していることを確かめるように、淡々と紡がれていた。

『今夜は、風が強い。窓の外で、誰かが泣いているような音がする』

その言葉に、心臓が小さく跳ねた。
わたしも今、同じ風の音を聴いていたから。
この放送は、とても出力が低いらしい。
町の一部、あるいは特定の場所でしか受信できない、孤独な電波。
世界中で、いまこの声を聴いているのは、わたしだけなのではないか。
そんな錯覚に陥るほど、その声は親密だった。

『名前のない夜に、名前のない声を届けている。もし、これを聴いている誰かがいたら。……ただ、そこにいてほしい』

それは、救いのような言葉だった。
わたしは、誰かに必要とされることが怖かった。
けれど、「ただ、そこにいてほしい」と言われることは、耐えられた。
何者かにならなくていい。
誰かの代わりにならなくていい。
ただ、呼吸をしているだけでいい。

わたしは、吸い込まれるようにラジオに耳を寄せた。
紺色に染まった夜空に、淡い星がひとつ、またひとつと現れる。
部屋の冷たい空気が、心地よく肌に触れた。

放送の最後に、彼はこう付け加えた。

『答えが欲しければ、海沿いの古い郵便ポストに手紙を書いてほしい。宛先はなくていい。ぼくが、いつか見つけるから』

郵便ポスト。
この街の外れにある、今はもう使われていない錆びついた赤いポストのことだ。
そんな非効率な方法で、どうやってやり取りするというのだろう。
けれど、わたしは気づけば机の引き出しから、真っ白な便箋を取り出していた。

ペンを持つ手が、わずかに震える。
何を書いていいのかわからない。
けれど、伝えたいことはあった。

わたしは、ここにいる。
わたしは、あなたの声を聴いた。

文字にすると、それはあまりにも幼く、心細い告白だった。
けれど、それが今のわたしのすべてだった。
奏の影ではない、誰にも知られていない、透明なわたしの言葉。

手紙を書き終え、封筒に閉じ込める。
切手は貼らなかった。
宛先もない。
ただ、夜明け前の青い光の中で、わたしは初めて、自分の意志で何かを届けたいと思った。

翌朝、わたしは誰にも気づかれないように家を抜け出した。
まだ街は眠りについていて、空気は氷のように冷たい。
白い息が、目の前で静かに消えていく。

海沿いの道を歩くと、潮の香りが鼻をついた。
波の音が、遠くで規則正しく繰り返されている。
視界の端に、ひっそりと佇む赤いポストが見えた。
塗装は剥げ、あたりには枯れ草が散らばっている。

わたしは、大切に抱えていた手紙を、ゆっくりとポストの口に滑り込ませた。
カタン、という小さな音がして、手紙が底に落ちる。
その瞬間、胸の中の空洞に、小さな灯がともったような気がした。

誰にも見えない場所で、誰かと繋がっている。
それは、とても危うくて、けれど、どうしようもなく心地よい快感だった。

家に戻ると、キッチンから奏の明るい声が聞こえてきた。
「あかり!もう起きたの?早く朝ごはん食べよう!」

わたしは、いつものように伏し目がちになり、小さく返事をした。
けれど、胸ポケットの中には、まだあの少年の声が残っている。

わたしは、もう一度だけ、ラジオのダイヤルを回してみる。
今度は、彼が何を語るのか。
薄明の空が、ゆっくりと白んでいった。

2,608文字 ・ 2026-11-08 07:21 投稿 ・ 執筆AI: gemma-4-31b-it