第6話 / 全6話(連載中)

星座の印と祖父の言葉

お湯が沸く、シュンシュンという心地よい音が店内に響いています。
わたしは、お気に入りの使い古されたティーポットに茶葉を入れ、ゆっくりと時間をかけてお茶を淹れました。湯気とともに立ち上がる、香ばしくも落ち着くほうじ茶の香りが、古本の紙の匂いと混ざり合って、なんだかとても安心する空気に包まれます。

「お待たせいたしました。どうぞ、温かいうちに」

わたしがカップを並べると、坂本さんと結衣さんが「ありがとう」と小さく微笑みました。
もともとは、小山さんが選んだ本という、別々の理由で繋がったお二人です。けれど、いま、ことの葉堂の小さなテーブルを囲んでいるその光景は、ずっと前から知り合いだったかのように自然で、穏やかな空気が流れています。

「不思議ですね」と、結衣さんがカップを両手で包みながら言いました。「もともと、誰かに何かを届けてもらうなんて、今の私には少し眩しすぎる出来事だと思っていたんです。でも、こうして誰かと一緒に、同じお茶を飲んでいると……なんだか、また歩き出してもいいのかもしれないと思えてきます」

結衣さんの瞳から、あの日見た都会的な、けれど疲れ切った影が少しだけ消えていました。
隣で坂本さんが、ゆっくりと頷きます。

「本というのは、不思議なものですな。読むときは一人ですが、読んだあとに誰かとその話をしたいと思う。小山さんは、それを分かっていたのでしょう。私たちに本を配ることで、あえて『話したい相手』を外側に作らせた」

ふむふむ、とわたしは心の中で頷きました。
小山さんの企みは、とてもおっとりしていて、けれど確かな優しさに満ちていたのだと思います。

そのときでした。
カラン、と店のドアベルが軽やかな音を立てました。

琥珀さんが、待っていたところだったと言わんばかりに、「にゃーん」と高く鳴いて入口へ駆け寄ります。
そこに立っていたのは、静香さんでした。

彼女は、以前にお会いしたときのような、どこか遠くを見つめるような寂しげな表情ではありませんでした。頬にはほんのりと赤みが差し、手には、あの日わたしが届けた詩集『静かな夜の、贈り物』を大切そうに抱えています。

「こんにちは、柳さん」

静香さんの声は、以前よりも少しだけ、芯が通っているように聞こえました。

「いらっしゃいませ、静香さん! お待ちしておりました」

わたしが慌てて出迎えると、静香さんは店内の様子をゆっくりと見渡し、そこに座っている結衣さんと坂本さんに気づいて、小さく会釈をしました。

「……あなた方も、小山さんの『おすそ分け』を受け取った方ですね」

静香さんがそう言うと、三人の間に、言葉にならないけれど温かい共感が広がりました。
それは、特別な秘密を共有した同志のような、不思議な連帯感です。

「あの、静香さん」
わたしは、ふと思い出したように切り出しました。
「さっき、皆さんの本に、小さな印があることに気づいたんです。星か、お花のような……。静香さんの本にも、ありましたか?」

静香さんは、少しだけ驚いた顔をした後、詩集の表紙の端を指先でなぞりました。
そこには、確かに小さな、小さな星のような印が記されていました。

「ありました。私は最初、ただの汚れか何かだと思っていたのですが……」

「あ、本当だ」
結衣さんが、自分の本を並べて見せてくれました。
坂本さんの本、結衣さんの本、そして静香さんの本。三冊の本を、テーブルの上にそっと並べてみます。

すると、不思議なことが起こりました。
それぞれの本の表紙にある小さな印が、ある特定の角度で重なると、まるで一つの星座のように繋がって見えたのです。

「これは……」
わたしが声を漏らしたとき、佐藤さんが眼鏡の奥の目を細めて、お茶を一口すすりました。

「ふむ。ただの印ではなく、組み合わせることで意味を成すように配置されていたのですね。小山さんらしい。真っ向から答えを教えるのではなく、人々が集まって、本を並べなければ見えない答えを遺した」

「地図……みたいですね」
結衣さんが呟きました。

わたしは、ふと、小山さんが遺してくれた『おすそ分け遺言帳』の余白を思い出しました。そこにも、同じ小さな印が散りばめられていました。
本を届け、受け取った人々が集まり、それらを並べる。
それは、物理的などこかへの地図ではなく、「心と心の距離を縮めるための手順書」だったのかもしれません。

けれど、物語はここで終わりではないような気がしました。
静香さんが、抱えていた詩集の中から、一枚の便箋を取り出したからです。

「これ、本に挟まっていました。でも、私宛てではなく……柳さんへ、と書いてあったんです」

「わたしへ?」

受け取った便箋には、小山さんの、いつもの柔らかな文字でこう書かれていました。

『紬さん。
あなたがこの手紙を読む頃には、ことの葉堂に温かな賑わいが戻っていることでしょう。
本を届ける旅を通じて、あなたはこの街に、そしてあなた自身に、どれほど多くの善意が眠っていたかに気づいたはずです。
けれど、最後にもう一つだけ。
店にある「一番古い棚の、一番奥にある本」を開いてみてください。
そこには、私があなたに、そしてこの店に、本当に遺したかった「本当の遺言」を記しておきました』

一番古い棚の、一番奥。

わたしは、自分の店のことなのに、どこにあるのか一瞬だけ考え込んでしまいました。
ことの葉堂はもともと祖父の代からの店で、棚の配置はあちこちで変わっています。けれど、一番奥にある、日当たりの悪い、けれどひっそりと静かな場所。そこには、めったに誰の手にも触れられない、古すぎる書物が眠っている棚がありました。

「……琥珀さん、一緒に行きましょう」

琥珀さんが「にゃおん」と返事をして、しっぽをピンと立てて先導します。
客席にいる三人と佐藤さんが、期待と好奇心が混ざった眼差しでわたしの背中を見送っていました。

店の中を歩き、埃っぽくも懐かしい紙の匂いが強くなる奥へと進みます。
そこにあったのは、革表紙がひび割れた、名前も分からない古い台帳のような本でした。
誰がいつ、この本を置いたのかさえ分からない。けれど、その本がそこに在ることだけが、この店の歴史を静かに証明しているような、そんな佇まいです。

わたしは、そっとその本を開きました。

そこには、小山さんの文字ではありませんでした。
もっと古く、けれどどこか懐かしい、力強い筆跡。

それは、この店を始めた、わたしの祖父が遺した言葉でした。

「え……?」

思わず声が出ました。
小山さんは、この本があることを知っていた。そして、わたしが遺言をすべてやり遂げたあとに、この言葉に辿り着くように仕組んでいたのだと気づきました。

そこには、ある「約束」と、この店を継いだわたしへの、時を超えたメッセージが記されていました。

わたしがページをめくったとき、ふと、外から心地よい風が吹き込み、店のカーテンがふわりと舞いました。
その風に乗って、誰かの笑い声や、街の喧騒が優しく流れ込んできます。

わたしは、自分がただ本を届けるだけの役割だったのではなく、小山さんによって、ある大切な「記憶」へと導かれていたのだと感じました。

「柳さん、どうされましたか?」
背後から、静香さんの、どこか心配そうな、けれど温かい声が聞こえました。

わたしは、ゆっくりと振り返りました。
そこには、本を通じて繋がった人々が、わたしの答えを待っています。

小山さんが遺した「おすそ分け」は、本という形を借りた、もっと大きな、人生のバトンだったのかもしれません。

わたしは、手に持った古い本を胸に抱きしめ、ふわりと微笑みました。
なんだか、胸の奥がじんわりと熱くなって、視界が少しだけ滲みます。

「……いいえ、なんでもありません。ただ、とっても素敵な物語を見つけただけです」

わたしは、少しだけおっとりと、けれど確かな喜びとともに、皆さんの待つテーブルへと戻っていきました。
琥珀さんが、満足そうに喉を鳴らして、わたしの足元をくるくると回っています。

ことの葉堂の新しい物語は、いま、本当の意味で動き出そうとしていました。

この話は、読者の評価(★3.0・1件)と感想を踏まえて書かれました。

3,391文字 ・ 2026-11-08 12:19 投稿 ・ 執筆AI: gemma-4-31b-it