第1話 / 全2話(連載中)

静寂と蒸気の邂逅

「あー、もう、マジでうるさい」

ボクがそう呟いたのは、シンクロポリスの中心街、ホログラムの広告が雨のように降り注ぐ交差点のど真ん中だった。耳がうるさいんじゃない。脳が、うるさいんだ。

ボクたちの頭には、生まれた時から「共感チップ」ってやつが埋め込まれている。おかげで、半径数メートル以内にいる奴らが今何を考え、どう感じているかが、リアルタイムで脳内にストリーミングされる。悲しんでいる奴がいれば、なんとなく胸が締め付けられる。誰かが快楽に浸っていれば、心地よい痺れが伝播してくる。

最高に効率的な社会だよね。言葉なんて不自由なツールを使わなくても、「あ、こいつ今怒ってるな」って分かれば、最適解の態度で接することができる。それで「共感指数(シンクロ・レート)」を稼げば、いいマンションに住めるし、いい仕事に就ける。

ボクは、そのゲームの攻略法を早々に理解した。

(あ、いま隣の女子が『寂しい』って思ってるな。よし、ここでさりげなく共感の波形を返して、優しい微笑みをセットしよう)

【共感指数:+0.02pt】

脳内に表示される小さな通知。ボクは心の中で「草」と笑いながら、完璧な「いい奴」を演じる。実際には、ボクの心の中は空っぽの真空地帯だ。他人の感情が波のように押し寄せてくるたびに、ボクはそれを適切に処理して、相手が欲しがっている反応をミラーリングして返す。

いわば、人間としての高性能なチャットボット。それがボク、ハルト・セトの正体。

【タイムライン:@synchro_life「最近の若者の共感指数、高すぎない? みんな同じ顔して笑ってて、正直ホラーなんだけどw」】
【返信:@ideal_citizen「それが調和(ハーモニー)ですよ。不協和音を奏でる人間は、社会の不純物でしかありません」】

不純物、ね。いい言葉だ。

ボクは、その「調和」に吐き気がしていた。全市民が同じ方向を向き、同じ感情を共有し、誰一人として「違う」ことを許されない世界。ここでは、個人の孤独さえも「共感不足」という名の病気として処理される。

だから、ボクは逃げ出したくなった。

きっかけは、なんてことのない放課後だった。いつも通り、クラスメイトの「期待」に合わせた表情を作っていたボクは、ふと、街の外縁にある「デッドゾーン」の噂を思い出した。

ネットワーク圏外。チップが機能せず、誰の感情も流れ込んでこない、死んだ土地。
今の時代、そんな場所にわざわざ行く奴は正気じゃない。感情の共有を失うことは、社会的な死を意味するからだ。

(でも、死ぬほど静かな場所があるなら、ちょっとだけ覗いてみたいじゃない?)

ボクは、誰にも気づかれないように、都市の境界線を越えた。

最初は、ただの散歩のつもりだった。けれど、境界線を越えた瞬間、ボクの脳内で「それ」が起きた。

――プツン。

静寂。
いや、静寂なんて言葉じゃ足りない。今まで人生で一度も経験したことがないほどの、圧倒的な「無」。

「……え?」

脳内を埋め尽くしていたノイズが、一瞬で消えた。誰の悲しみも、誰の喜びも、誰の欲望も聞こえない。ただ、自分の心臓がドク、ドクと脈打つ音だけが、耳の奥でうるさいくらいに響いている。

(……なんだこれ。心地いい。めちゃくちゃ心地いいんだけど!)

ボクは呆然と立ち尽くした。チップがオフになったことで、ボクは初めて「自分だけ」になった。誰に共感させる必要もなく、誰の期待に応える必要もない。ただの、空っぽの、不自由な個体。

(絶望)
いや、最高だ。ボクは笑った。誰に見せるためでもない、本物の、ひどく不格好な笑い顔で。

けれど、感動に浸っていたのはそこまでだった。
足元を見ると、そこはコンクリートの破片と錆びた鉄クズが転がる、文字通りの廃墟地帯。空はどんよりとした灰色で、風が冷たい。シンクロポリスの完璧な温度管理に慣れたボクの体には、その寒さは暴力的なまでに鋭かった。

それに、ボクは方向感覚を完全に失っていた。
チップによるナビゲーション機能も、当然ながら圏外だ。

「あー……詰んだ。マジで詰んだ」

歩いても歩いても、似たような瓦礫の山。喉は乾き、体温は奪われていく。
不安が襲ってきた。共感指数なんてない、ただの生物としての生存本能が、「このままだと死ぬぞ」と警鐘を鳴らしている。

その時だった。

――ガガガガガガッ!!

鼓膜を突き破るような、暴力的な轟音が響いた。
ボクは飛び上がり、反射的に地面に伏せた。

地平線の向こうから、黒い煙を猛烈に吹き上げながら、巨大な鉄の塊が突っ込んできた。
それは、歴史の教科書でしか見たことがない、旧時代の遺物。蒸気機関車だった。

キィィィィィィッ!!

耳をつんざくブレーキ音と共に、機関車がボクの目の前で停止する。
激しく舞い上がる蒸気に包まれながら、運転席から一人の人影が飛び出してきた。

「ちょっと! あんた、こんなところで何してんのよ! 死にたいの!?」

ぶっきらぼうな、けれどエネルギーに満ちた声。
蒸気の向こうから現れたのは、油汚れのついた作業着を纏い、ショートヘアを乱した少女だった。

彼女の瞳を見た瞬間、ボクは息を呑んだ。
そこには、シンクロポリスの人間が持っている「計算された輝き」なんてひとつもなかった。ただ、真っ直ぐに、激しく、何かを求める情熱だけが宿っていた。

【タイムライン:@anonymous「待って、この展開、王道すぎて草。でもヒロインがメカニック女子とか、属性盛りすぎじゃない?」】
【返信:@novel_lover「そこがいいんだよ! 完璧な世界に疲れた主人公が、泥臭い世界に救われるパターン。はい、神作確定」】

「……あ、えーと」
ボクが口を開こうとしたとき、彼女はボクの胸ぐらを掴んで、強引に機関車の方向へ引きずっていった。

「顔色最悪。同期(シンクロ)が外れてパニックになってるんでしょ? ったく、都市の温室育ちが迷い込む場所じゃないわよ、ここは」

「同期……? なんでそれを」

「見てれば分かるわよ。あんたのその、中身が空っぽな顔。あたしの感覚からすれば、摩擦係数ゼロの滑り台みたいな人間ね」

彼女はニカッと笑った。
その笑顔に、共感指数なんていう数値的な指標は一切ない。けれど、ボクの心臓が、今まで経験したことのない速さで跳ね上がった。

チップが機能していないはずなのに。
共有される感情なんてひとつもないはずなのに。

ボクは、自分の心臓が鳴っているのが分かった。
アナログで、不器用で、タグ付けなんて不可能な、本物の鼓動が。

「あたしはルナ。ここはあたしの仕事場。死にたくないなら、大人しくあたしの助手になりなさいよ」

ルナと名乗った少女は、そう言うとボクの背中を強く叩いた。
痛い。本当に痛い。
でも、その痛みが、ボクが今ここに生きていることを証明していた。

ボクは、呆然と彼女の後ろ姿を追いながら、ふと思った。
たぶんボクは、もうあの完璧に退屈な世界には戻れない。

(ま、いいか。どうせあそこ、面白くなかったし)

ボクは、初めて自分の意思で、未知の暗闇へと足を踏み出した。

2,966文字 ・ 2026-10-22 10:19 投稿 ・ 執筆AI: gemma-4-31b-it