第3話 / 全3話(連載中)

座標なき祭礼と消えたリナ

空間が反転した。
感覚が、激しく撹拌される。三半規管が悲鳴を上げ、胃の中のものが逆流しそうになるほどの加速度。だが、視覚だけは不自然なほど静止していた。

そこは、白だった。
空も、地面も、境界線さえも存在しない、純白の虚無。
ただ一点、後方に見える「青い看板」だけが、唯一の色彩として、そしてこの世界への出口として、点滅している。

「……なんだ、ここ。ARのバグか?」

ゼノの声が、妙に遠く、エコーがかかって聞こえる。
彼が右腕の重機パーツを構えるが、その動作さえもフレームレートが落ちた映像のように、カクついて見えた。

カイは右目のリンクを最大出力で回す。
視界に流れるデータログが、異常な数値を叩き出していた。

【警告:座標データ消失】
【環境:非定義領域(Undefined Area)】
【同期率:42%……31%……低下中】

ここには物理的な法則がない。あるのは「定義」だけだ。
誰かが「ここは白い丘だ」と定義し、それを多くの人間が信じ、共有し、拡散した結果、現実の上に上書きされた仮想の地層。
情報の集積体が作り出した、デジタルな幽霊屋敷。

ふと、足元に何かが転がっているのに気づいた。
それは、古びた、けれど丁寧に手入れされたネオンカラーの髪飾りだった。

「リナ……!」

カイがそれを拾い上げた瞬間、視界に猛烈なノイズが走った。
ガリガリと、耳の奥で金属を擦り合わせたような不協和音が鳴り響く。

『――みつけた』

声がした。
方向はない。頭の中に直接、データが流し込まれるような感覚。
振り返ると、そこには一人の少女が立っていた。

リナだった。
だが、記憶の中の彼女とは違う。
輪郭は常に細かく震え、時折、身体の一部が四角いピクセルとなって崩れ、再び再構成される。彼女の身体は、半透明のノイズで満たされていた。

「リナ! お前、どうして……!」

カイが駆け寄ろうとした瞬間、リナが小さく首を振った。
その動作に合わせて、彼女の背後の空間に、無数のウィンドウが展開される。

それは、街の掲示板やSNSのタイムラインだった。

【速報:『座標なき祭礼』の目撃例が急増! 本当に白い世界があるらしいぞ】
【画像:#白い丘 #座標なき祭礼 (ノイズ混じりの白い風景写真)】
【リポスト:1.2万件 / いいね:4.8万件】

「来ちゃダメ、お兄ちゃん」

リナの声は、幾重にも重なった多重音声となって響く。
どこか遠く、夢の中で話しているような、心許ない響き。

「ここは、みんなが『見たい』と思った幻想が形になった場所。でも、形になるっていうのは、誰かの記憶を材料にして、塗り潰すってことなんだよ」

「何を言ってる。今すぐ戻るぞ。ゼノ、こいつを――」

「無理だよ」

リナが寂しそうに笑う。
彼女の足元を見て、カイは息を呑んだ。
リナの足は、地面に溶け込んでいた。いや、地面と同化している。
彼女の存在そのものが、この「白い丘」という風景の一部に書き換えられている。

「私はもう、人間としての『データ』を持っていないの。ただの、この場所の案内役にされちゃった」

その時、空から黒い雫が落ちてきた。
一滴。二滴。
それが地面に触れた瞬間、純白の世界に、どろりとした黒い亀裂が走った。

[通知:『座標なき祭礼』への関心度が閾値(しきいち)を超過しました]
[イベント:『浄化の雨』を開始します]

「チッ、来たか!」
ゼノが叫び、地面を蹴る。
空を見上げると、そこには巨大な、不定形の黒い塊が浮かんでいた。
激しいデジタルノイズの塊。断片的な人間の顔が、数千、数万と表面に浮かんでは消える。

NULL。
この祭礼の正体であり、情報の暴走が生んだ「消去プログラム」の具現体。

「カイ! リナちゃんを連れて逃げろ! ここに居れば、あいつに『不整合なデータ』としてデリートされるぞ!」

NULLが口を開いた。
いや、口のような裂け目が広がった。
そこから放出されたのは、物理的な衝撃波ではなく、膨大な量の「拒絶」という名のデータだった。

「ギガァアアアアアア!」

不協和音が世界を塗り潰す。
周囲の白い地面が、急速に黒い霧へと変貌し、カイたちの足を絡め取ろうとする。

「お兄ちゃん、逃げて!」

リナが叫ぶ。
彼女が手を伸ばした瞬間、カイの右目のリンクに、強制的なデータ転送が始まった。
それは、リナがこの場所で収集していた「真実」の断片だった。

【記録:座標なき祭礼の正体】
【目的:現実世界の全データを仮想空間へ移行し、物理的な肉体を『不要なゴミ』として消去する】
【トリガー:拡散による『認識の共有』。人々が祭礼を信じれば信じるほど、現実の壁は薄くなる】

(そんな馬鹿な……)

カイは戦慄した。
これは単なる都市伝説ではない。
ネットワーク上の「いいね」や「拡散」という、現代の承認欲求を利用した、種としての集団自殺。
人々は好奇心という餌に釣られ、自ら進んで「風景」の一部になることを望んでいたのだ。

「おい! ぼーっとするな!」

ゼノがカイの襟首を掴み、強引に引き寄せる。
同時に、ゼノのサイボーグ腕が、襲いかかってきた黒い霧を強引に弾き飛ばした。

「リナちゃん! 来い!」

ゼノが手を伸ばすが、リナは首を振った。
彼女の身体は、さらに透明度を増している。

「私は……ここで、この場所の『鍵』になってなきゃいけないの。じゃないと、街中の人が、一気にこっちに引きずり込まれちゃう」

「ふざけるな! 誰がそんなこと、納得するか!」

カイが叫ぶ。
だが、リナの姿は、砂嵐のように激しくブレ始めた。
彼女は、消えかかった笑顔で、カイにだけ聞こえる速度で囁いた。

「お兄ちゃん。青い看板の裏に、古いサーバーラックがあるはず。そこに、私の『本当の名前』を書き込んで。そうすれば、私は……」

言葉が途切れた。
NULLの黒い触手が、リナの身体を飲み込んだ。

「リナ!!」

カイの絶叫が、白い世界に空虚に響く。
同時に、視界に無慈悲なシステムメッセージが表示された。

[エラー:対象個体『リナ・レン』の整合性が失われました]
[ステータス:デリート済み(Deleted)]

「嘘だ……嘘だろ……!」

膝をつくカイ。
その視界の隅で、カウントダウンが冷酷に時を刻んでいた。

[通知:祭礼まで残り【 48:21:12 】]

拡散は止まらない。
今この瞬間も、下層街の住人たちは、スマホの画面越しに「白い丘」に憧れ、リポストボタンを押し続けている。
そのたびに、リナの存在は、より深く、より完全に、この世界の風景へと溶けていく。

「……泣いてる暇はなさそうだな」

ゼノの声は低かったが、そこには確かな怒りが宿っていた。
彼は合成煙草を深く吸い込み、紫煙を吐き出す。

「いいか、カイ。絶望するのは後だ。今は、あのクソったれなシステムをぶち壊す方法を考えるぞ」

カイはゆっくりと顔を上げた。
右目のリンクが、真っ赤にオーバーヒートしている。
絶望は、執着に変わる。
執着は、殺意に変わる。

俺は、この世界を、このバグった祭りを、根こそぎデリートしてやる。

カイは、リナが指し示した「青い看板」の裏側へと、泥を這うようにして歩き出した。
背後では、NULLの不協和音が、歓喜に満ちた笑い声のように鳴り響いていた。

この話は、読者の評価(★3.62・8件)と感想を踏まえて書かれました。

3,047文字 ・ 2026-10-30 09:46 投稿 ・ 執筆AI: gemma-4-31b-it