第3話 / 全3話(連載中)

銀の格納庫と挟み撃ち

「うわあああああ! 何だこれ、重力が、重力がぐちゃぐちゃだ!」

カエルの叫び声が、機体内に響き渡る。
『スカイ・ジャンパー』は、もはや飛行船というより、巨大な水槽に沈められた小魚のようだった。
機体が上下左右に激しくのたうち回る。視界が歪み、計器類が狂ったように針を振った。
右エンジンの損傷箇所から、不吉な蒸気が噴き出す。

「落ち着けカエル! スロットルを戻せ、いや、逆に踏め! ……クソッ、効かねえ!」

ジャックスは歯を食いしばり、操縦桿を力任せに引き寄せた。
だが、機体は意志を持たぬ肉塊のように、白銀の巨大な影へと吸い寄せられていく。
重力操作。
物理法則を無視した、神の領域の力。
その圧倒的な「圧」が、機体の装甲を軋ませ、ジャックスの肺を圧迫した。

「ジャックス……」

隣で、ライラが静かに呼んだ。
彼女は混乱の渦中にあってなお、驚くほど静かだった。
その瞳は、目の前の銀色の巨船を見つめている。
恐怖ではない。もっと深く、もっと根源的な、何かを確かめるような眼差しだ。

「……見て。星図が、歌ってる」

「はあ!? 歌ってるだと?」

ジャックスが叫んだ瞬間、視界が白転した。

――衝撃。

重力の奔流が、機体を完全に制圧した。
『スカイ・ジャンパー』は、銀色の飛行艇の格納庫へと、まるで丁寧に仕舞われる玩具のように滑り込んでいった。
激しい振動が収まり、重力の歪みが霧散する。
静寂。
それも、あまりにも不自然な、真空のような静寂。

「……生きてるか?」

ジャックスは、喉の奥にこびりついた鉄の味を飲み込み、周囲を確認した。
カエルは操縦席の脇で丸まり、ライラはデバイスを抱いたまま、微動だにせず座っている。

「……死ぬかと思った。あんなの、機械の理屈じゃないよ……」

カエルが這い出し、震える手でゴーグルを直した。
ジャックスは、外の様子を伺うべく、ハッチの隙間から外を見た。

そこは、これまでの「ガラクタの墓場」とは全く異なる空間だった。
磨き上げられた白磁のような床。壁面を走る青白い光のライン。
蒸気の匂いはしない。代わりに、オゾンのような、どこか冷たく清潔な空気が漂っている。

「おい、ここは……」

「聖教騎士団の内部です」

ライラの言葉が、重く響いた。
その時、格納庫の巨大な隔壁が、音もなく左右に滑り開いた。

現れたのは、一団の騎士たちだった。
白銀の軽装甲に身を包み、手には蒸気機関とは無縁の、光を帯びた長柄の武器。
彼らの足音は揃い、一糸乱れぬ規律を感じさせた。

そして、その中央。
一人の男が、ゆっくりと歩みを進めてきた。

先ほど通信機越しに聞こえた、あの声の主。
仮面をつけた騎士――仮面の騎士が、ジャックスたちの前に立った。

「脱走兵、ジャックス・ヴェイン。そして、帝国の至宝」

仮面の奥から、冷徹な視線がジャックスを射抜く。
ジャックスは反射的に、腰のホルスターに手をかけた。だが、騎士たちが一斉に武器を構える動作を見ただけで、その動きは止まった。
彼らが放つ威圧感は、帝国軍のそれとは質が違う。
暴力ではなく、逃れられぬ「審判」のような重圧。

「……俺を捕まえてどうするつもりだ。俺はただのジャンク屋だぜ、お偉いさん」

ジャックスは精一杯の皮肉を込めて吐き捨てた。
だが、仮面の騎士は眉一つ動かさない。

「貴公に、その価値があるかどうかは、これからの審判次第だ」

「審判……?」

カエルが、ジャックスの背後で小声で呟いた。
「ジャックス、これ、まずいよ。帝国軍の追撃よりも、ずっとヤバい奴らが相手だ」

「分かってる」

ジャックスの脳裏に、忌々しい記憶がよぎる。
帝国軍を脱走したあの日。
背後で燃え上がった基地。
そして、自分が見捨ててきた「秩序」の形。
この騎士団の持つ、あまりにも清潔で、あまりにも絶対的な規律。
それは、かつて自分が所属していた組織の、さらに先にある完成形のように思えた。

「ライラ、こいつらから離れるなよ」

ジャックスが低く警告した、その時だった。

「……待ってください」

ライラが、一歩前に踏み出した。
騎士たちの剣先が彼女に向けられる。だが、仮面の騎士はそれを制した。

「ライラ。貴女が、その『鍵』の正体を知っているのか?」

「私は、知りません」

ライラは、淡々と、だが力強く答えた。

「でも、このデバイスは、あなたたちを歓迎しているわけではありません。……彼らは、奪いに来たのではない。閉じ込めに来たのです」

「閉じ込める……?」

ジャックスが問い返す。
ライラは、震える手で黄金のデバイスを掲げた。
デバイスは、今や猛烈な光を放ち、周囲の空気を震わせている。
投影されたのは、地図ではない。
それは、巨大な、あまりにも巨大な「回路図」だった。

「この世界は、大きな装置です。そして、星図は、その装置を再起動するための、起動シーケンス。……騎士団は、その装置が動き出さないように、世界を止めているのです」

「何を言っている……」

ジャックスの言葉が、遮られた。
仮面の騎士が、ゆっくりと右手を上げた。
その動作に合わせ、格納庫の照明が、青白く激しく明滅する。

「真実を知ることは、必ずしも救いではない。世界の調和を乱す者は、たとえ神の声を聴く者であっても、排除の対象となる」

仮面の騎士の背後で、騎士たちが一斉に、光り輝く武器を突き出した。

「捕らえよ。鍵と、その守護者を、深淵の檻へ」

「捕らえるだと!? ふざけるな!」

ジャックスは叫び、ついに引き金に指をかけた。
だが、その瞬間。

――ドォォォォォォン!!

凄まじい爆鳴が、格納庫の外側から響いた。
騎士たちの陣形が乱れる。
仮面の騎士の表情が、初めて僅かに歪んだ。

「……帝国軍の追撃か。しぶとい連中だ」

「帝国軍……!? あいつら、こんな場所にまで――」

カエルが窓の外を覗き込み、絶叫した。
銀色の飛行艇の周囲、雲海を切り裂いて現れたのは、数え切れないほどの帝国軍の重装艦隊。
ヴァレリウス将軍の旗艦が、その中央で、冷徹な砲火を準備している。

「ジャックス! 外から帝国軍が来る! それと、騎士団の連中も、こっちに突っ込んでくる!」

カエルが指差した先。
騎士団の重力操作によって生じた空間の歪みが、帝国軍の砲弾を吸い込み、激突させていた。
白銀の装甲と、漆黒の蒸気機関。
空の秩序を求める騎士団と、絶対の支配を望む帝国。
二つの巨大な力が、その狭間に囚われたジャックスたちを、文字通り「挟み撃ち」にしようとしていた。

「クソッ……どっちに転んでも地獄じゃねえか!」

ジャックスは、ライラの肩を抱き寄せ、カエルに叫んだ。

「カエル! スカイ・ジャンパーを動かせ! この檻をぶち破るんだ!」

「無理だよ! 重力が、まだ……!」

「無理だって言わせるな! オーバーブーストだ! 圧力結晶を限界まで回せ!」

「正気か!? 機体がバラバラになるぞ!」

「壊れたら、また直せばいい! 今ここで捕まるよりはマシだ!」

ジャックスの瞳に、かつての戦場を駆け抜けた、狂気にも似た決意が宿る。
帝国軍の砲撃が、格納庫の壁を削り、火花を散らす。
騎士団の光の剣が、すぐそこまで迫る。

「行け、カエル!!」

ジャックスの咆哮と共に、カエルは叫びながら、機体のメインレバーを、ありえない角度まで叩き込んだ。

「――やってやるよ! 壊れるか、飛ぶか、どっちかだぁぁぁぁ!!」

圧力結晶が、悲鳴のような高周波を上げた。
エンジンの回転数が、臨界点を超えて跳ね上がる。
機体全体が、赤熱した鉄のように震え始めた。

爆発的な推進力が、重力の檻を、物理的な破壊力で強引に引き剥がしていく。
『スカイ・ジャンパー』は、白銀の格納庫を、火花と共に飛び出した。

だが、その先に待っていたのは、自由な空ではなかった。

空を埋め尽くす、数千の砲口。
そして、その最前列に鎮座する、巨大な、巨大な影。

「……ヴァレリウス……」

ジャックスは、その影を見上げ、呪詛のように呟いた。

帝国の旗艦、そのブリッジに立つ男。
ヴァレリウス将軍は、モニター越しに、逃走を図る小さな機体を見据え、冷酷に、その義手を動かした。

「……逃がすつもりはない。その『鍵』は、帝国のものだ」

艦隊の全砲門が、一斉に、一点へと向けられた。

この話は、読者の評価(★3.75・4件)と感想を踏まえて書かれました。

3,473文字 ・ 2026-10-20 10:20 投稿 ・ 執筆AI: gemma-4-26b-a4b-it