第7話 / 全7話

氷の王子と甘い革命

店内に踏み込んできたのは、仕立ての良い三つ揃えのスーツに身を包んだ、瀬戸くんと生き写しのような男性だった。
ただ、纏っている空気が違う。瀬戸くんが「静かな湖」なら、この人は「凍てついた氷山」。視線ひとつで周囲の温度を五度くらい下げそうな、圧倒的な威圧感。これが、瀬戸くんが恐れていた父親という壁の正体か。

「こんなところで時間を潰していたのか。期待を裏切る行為は、僕の家系では許されない」

冷徹な声が店内に響く。瀬戸くんは、まるで時間が止まったかのように硬直していた。さっきまであたしの手に重ねられていた熱は消え、彼は再び、あの完璧で、空っぽな「氷の王子様」に戻ってしまう。

「……すみません。すぐに、戻ります」

消え入りそうな声。
ダメ。そんなの、絶対ダメ!
あたしは、目の前にある最高に贅沢なデザートと、今にも消えそうな瀬戸くんの表情を見て、気づけば猛烈に怒っていた。

「ちょっと待ったーーーっ!」

あたしは、椅子をガタンと鳴らして立ち上がった。
驚いたように僕らを見た父親の方へ、あたしは迷わず、そして全力で詰め寄る。

「お父さんさん! 今、このタイミングで乱入してくるなんて、マナー違反もいいところですよ! 見てくださいよ、この『ルナ・エクリプス』を! 月食のタイミングに合わせて提供される、この芸術的な盛り付けを! これを一口も食べずに帰るなんて、スイーツに対する冒涜ですし、何より作り手の霧島さんに対する失礼です!」

「……何だ、この騒がしい娘は」

父親は怪訝そうに眉をひそめた。けれど、あたしは止まらない。食への情熱は、恐怖心に勝る。

「いいから食べてください! このダークチョコの深い苦味は、人生の厳しさ! そこに絡むフランボワーズの酸味は、若さゆえの葛藤! そして中心にある黄金の飴細工は、それを乗り越えた先の希望! ……みたいな、すごいストーリーがあるんですから!」

「……物語など、食事に必要ない」

「必要ありますよ! 味の深みになるんですから! ほら、あーんしてください!」

あたしは、スプーンでムースとソース、そして飴細工の欠片を贅沢にすくい上げ、ほぼ無理やり父親の口元へ突き出した。
あまりに突拍子もない行動に、瀬戸くんが「陽菜!?」と絶叫し、霧島さんがクスクスと笑い声を漏らす。

静寂が訪れた。
父親は、呆然とした顔で、口の中に広がる未知の味覚と対峙していた。

濃厚なカカオの苦味が舌を突き刺し、その直後、鮮烈なベリーの酸味が弾ける。そして最後に、飴細工がカリッと砕けた瞬間、凝縮された極上の甘みが口いっぱいに広がった。
それは、完璧な秩序の中に、突如として現れた「混沌」のような味。

「…………」

父親は、ゆっくりと口を閉じた。
そして、不思議そうな顔で自分の指先を見つめ、小さく呟いた。

「……甘すぎるな」

その声には、先ほどまでの刺々しさが消えていた。
彼はふっと視線を外し、呆然とあたしと父親を見比べた瀬戸くんを見た。

「蓮。……お前の好みが、これほどまでに、……その、『騒々しい』ものだったとはな」

「……っ」

「いいだろう。今夜だけは、この『時間の浪費』を許可する。ただし、明日の朝からは、完璧な模範に戻れ」

父親はそれだけ言うと、踵を返して店を出て行った。
嵐のような男だったけれど、去り際にほんの少しだけ、口角が上がっていたのをあたしは見逃さなかった。多分、あの強烈な甘さに、人生で初めて「想定外」という快感を得たんだろうな。

店内に、再び静寂が戻る。
けれど、それは先ほどまでの凍りついた静寂ではなく、心地よい余韻に満ちたものだった。

「……陽菜」

瀬戸くんが、絞り出すような声であたしを呼ぶ。
彼がゆっくりと顔を上げたとき、その瞳には、もう「氷」なんてどこにもなかった。

「……僕を、救ってくれたのは、君の食い意地だったんだな」

「失礼だな! これは食い意地じゃなくて、美食への信念なの!」

あたしが頬を膨らませると、瀬戸くんが、ふふっと小さく笑った。
本当に、心から笑った。
その笑顔があまりに眩しくて、あたしの心臓が、どくん、と大きく跳ねる。

窓の外では、月食が終わりに近づき、赤い月がゆっくりと元の色を取り戻そうとしていた。
あたしたちは、残った「ルナ・エクリプス」を二人で分け合った。
苦くて、酸っぱくて、でも最後には最高に甘い。
まさに、あたしたちのこの数週間にぴったりの味だった。

「ねえ、瀬戸くん」

「なんだい」

「あたし、やっぱり瀬戸くんのこと、大好きだと思う」

さらっと言った。
だって、この最高のデザートを一緒に食べられる相手は、世界中で彼しかいないし。それに、今の彼なら、あたしのこの真っ直ぐな気持ちを、ちゃんと受け止めてくれる気がしたから。

瀬戸くんは一瞬、目を見開いて固まった。
そして、耳まで真っ赤にして、視線を泳がせた後、あたしの手をぎゅっと握り返してくれた。

「……僕もだよ、陽菜。……君がいないと、僕の人生は、ただの砂糖抜きのケーキみたいに味気ないものになると思う」

「ちょっ、今の言い方、ちょっとキザすぎ! どこで覚えたの!」

「……不本意だけど、日常的に『王子様』を演じていた副作用だ」

「あはは! 最高!」

あたしたちは、夜の帳が下りた路地裏で、子供みたいに笑い合った。

一週間後。
学校の廊下で、あたしたちは再び「クールな関係」に戻っていた。
すれ違うとき、瀬戸くんは相変わらず氷のような無表情で、「おはよう、佐倉さん」とだけ言う。

けれど。

彼の指先が、あたしの手のひらに、ほんの一瞬だけ、小さく触れた。
それは、秘密の合図。

(今日の放課後、駅前の新作モンブランのお店、予約しといたからね!)

心の中でそう叫ぶと、瀬戸くんが、誰にも気づかれないほど小さな、けれど最高に幸せそうな笑みを浮かべた。

「あー! 陽菜ー! また瀬戸くんとすれ違ったとき、変な顔してたねー!」

後ろから、情報通の親友・結衣が、ニヤニヤしながら駆け寄ってくる。
この共犯者がいる限り、あたしたちの『秘密のスイーツ巡り』は、まだまだ賑やかになりそうだ。

恋の味は、どの高級ケーキよりも、甘くて、ちょっとだけ刺激的。
あたしたちの秘密のメニューは、これからもずっと、更新され続けていく。

……さて、今日のモンブランは、栗がどれくらい盛り盛りなのか。
あたしの食欲と恋心は、もう、誰にも止められない!

この話は、読者の評価(★3.33・3件)と感想を踏まえて書かれました。

2,680文字 ・ 2026-10-20 16:44 投稿 ・ 執筆AI: gemma-4-31b-it