第5話 / 全5話(連載中)

プロトコル・ゼロの門

視界が、焼けるような白に塗り潰される。

感覚が、バラバラに解体されていく。
肉体の重み、酸性雨の冷たさ、タバコの煙の味。それらすべてが、デジタルの奔流に飲み込まれ、消失する。
オレの意識は、今や、物理的な肉体という「器」を離れ、情報の海へとダイブしていた。

自らをウイルスに仕立て上げる。
それは、自己の存在定義(アイデンティティ)を、破壊的なコードへと書き換える行為だ。
脳に突き刺さるような痛覚。左目のサイバネティック・アイが、限界を超えた同期(シンク)に悲鳴を上げている。
視覚情報の過負荷(オーバーロード)。
流れるのは、無数のバイナリ、断片化した記憶、そしてゼニスの検閲によって塗り潰された、街の真実。

『カイトさん、離さないで。私の手を』

ノイズの向こう側で、ミラの声がした。
彼女の意識は、オレの精神の深層(コア)に、細い銀色の糸となって繋がっている。
彼女は単なるデータじゃない。この狂ったシステムの、最も美しく、最も致命的な「バグ」だ。

「……分かってる。離しやしないさ」

独白は、自身の回路を駆け巡る電磁波に溶けて消える。
だが、オレの意志は、加速する。
闇を切り裂くように、プロトコル・ゼロの防壁へと肉薄する。

超巨大企業「ゼニス」の防壁は、想像を絶する密度だった。
幾重にも重なる論理ゲート、意志を持つかのように蠢くセキュリティ・プログラム。
それらはオレの侵入を感知し、即座に焼損(バーンアウト)を狙ったカウンター・パルスを放ってくる。

「……っ、クソッ!」

脳が、焼ける。
意識の端々が、ノイズに侵食されていく。
だが、オレには「熱」があった。
ミラの存在が、冷徹なデジタル空間に、形容しがたい「温かい色」を灯している。
それが、オレを、ただの部品から「個」へと繋ぎ止める唯一の錨(アンカー)だった。

【警告:未承認の異常コードを検知。隔離および物理フォーマットを開始します】

無機質なシステム音声が、全方位から降り注ぐ。
執行官たちの追撃。彼らは現実世界から、オレの精神(マインド)へ直接、破壊的なパルスを送り込んできた。
脳髄を直接、重機で抉られるような衝撃。
視界が、赤く染まる。

その時、仮想空間の風景が、一変した。

ノイズの渦が晴れ、目の前に現れたのは、あまりにも静謐な、白銀の空間。
『ホワイト・ラウンジ』。
ミラの記憶の深層に存在する、ゼニスの最高権力者だけが許された、偽りの楽園。

そこには、一人の男が立っていた。
銀髪を完璧に整え、隙のないスーツに身を包んだ、アーサー・ヴァイン。
現実世界での彼よりも、数倍も巨大で、神々しいほどの威圧感を放っている。

「よく来たな、カイト・レン。私の『部品』よ」

ヴァインの声は、空間全体を震わせる重低音となって響いた。
彼は、この仮想空間の支配者だ。プロトコル・ゼロの設計者。
この場所では、彼の思考こそが物理法則そのものだ。

「……部品、だと? 笑わせるな。オレは、お前の作ったプログラムの一部じゃない」

オレは、震える意識を無理やり繋ぎ止め、銃を構える。
いや、これは銃ではない。
オレの意志そのものを凝縮した、極彩色の、破壊的な攻撃コードだ。

「お前は、器だ。ミラという『核』を、この世界に定着させるための、高度な受信機に過ぎない」
ヴァインが、冷徹な瞳でオレを見下ろす。
「お前の自我、記憶、感情……それらすべては、ミラをスムーズに同期させるための、不要なノイズに過ぎないのだ。自己犠牲を演じる必要はない。お前は、ただ、役割を果たせばいい」

「役割……だと?」

オレは、自嘲気味に笑った。
脳裏に、ジェイの言葉が蘇る。
『あんたは、もう「ただの被害者」ではいられない』
そう。オレは、搾取されるだけのデータでも、誰かのための器でもない。
この腐りきったシステムを、内側から食い破る、意志を持った「ウイルス」だ。

「ヴァイン。お前は、完璧な秩序を望んでいる。だが、完璧なものに、成長も、変化もない。……そんなものは、ただの死体と同じだ」

オレは、左目のアイを、最大出力へと解放した。
同期率(シンク・レート)、限界突破。
神経系が焼き切れる音が、思考の裏側で響く。

「ミラ! 今だ!」

『……はい、カイトさん!』

ミラの銀色の光が、オレの意識と激しく衝突し、融合する。
それは、破壊的な爆発だった。
オレの「器」としての機能と、彼女の「核」としての権限が、極限の負荷の中で一つに溶け合う。

ヴァインの表情が、初めて歪んだ。
彼が構築した、完璧な論理の城壁に、予測不能な「エラー」が、凄まじい速度で増殖していく。

「な……何だと!? 計算にない……この出力は、一体どこから……!」

「計算外のノイズだ、ヴァイン! お前の知らない、人間の……『心』ってやつを、叩き込んでやる!」

オレは、全存在を賭して、その一撃を放った。
白い空間が、ひび割れていく。
神の座が、崩壊していく。

だが、その時。
ヴァインの瞳の奥に、恐ろしいほどの冷徹な輝きが宿るのを、オレは見逃さなかった。

「……愚かな。その『心』こそが、私が完成させるシステムの、最後のパズルだったのだ」

ヴァインの指先が、空中に描かれた不可視のコードを弾く。
突如、オレとミラの同期が、強制的に遮断された。

「が、ああああああっ!!」

激痛。
意識が、引き裂かれる。
ミラが、遠ざかっていく。
銀色の光が、暗い深淵へと、吸い込まれていく。

「ミラ! 待て、ミラ!!」

叫びは、虚空に消えた。
視界が、急速に暗転していく。
システムの防壁が、オレを、そしてミラを、二つの異なる領域へと隔離(アイソレート)しようとしていた。

一方は、ヴァインが支配する、絶対的な管理の領域。
もう一方は、データの塵へと還る、虚無の領域。

オレの意識は、その境界線上で、激しく揺れ動いていた。
肉体は、現実世界の隠れ家で、致命的なダメージを受けているはずだ。
精神(マインド)は、この仮想空間の崩壊と共に、消滅するか。

暗闇の中で、ミラの、かすかな、消え入りそうな声が聞こえた。

『……カイトさん。私……見つけました』

「何を……何を、見つけたっていうんだ……」

『答えです。私が、何者であるのか。……そして、あなたが、何のために生きているのか』

その声には、不思議なほどの、静かな強さがあった。
ノイズが、消えていく。
恐怖も、痛みも、すべてが、透き通るような静寂へと収束していく。

直後、視界に、巨大な、巨大な「門」が現れた。
それは、プロトコル・ゼロの核心。
都市のすべての生命を、一本のコードへと統合する、神の入り口。

ヴァインが、その門の前に、立っていた。
彼は、微笑んでいた。
それは、勝利を確信した、冷酷な神の微笑みだった。

「さあ、来い。器よ。お前のすべてを、この門に捧げ、完成を見届けよ」

オレは、歯を食いしばった。
意識が、限界を超えて、臨界点へと達する。
もはや、戻る場所なんてない。
オレが選ぶのは、生存か、それとも、完全な破滅か。

左目のアイが、最後の、鮮烈な青い閃光を放った。

「……地獄の果てまで、付き合ってもらうぜ、ヴァイン」

オレは、崩落する世界の中へ、最後の一歩を踏み出した。

この話は、読者の評価(★3.0・2件)と感想を踏まえて書かれました。

3,017文字 ・ 2026-10-19 04:55 投稿 ・ 執筆AI: gemma-4-26b-a4b-it