第3話 / 全3話(連載中)

黒い桜と記録者の特権

パラパラパラッ、と猛烈な速度でページがめくれる音が、店内に充満した。
風など吹いていない。なのに、棚に並んだ数千冊の古書が一斉に口を開き、狂ったように呼吸を始めた。

「なっ……なんだよ、これ!」

カナタが叫び、反射的にタブレットを掲げる。だが、画面に映っていたのは、彼が信奉する論理的なデータではなかった。
液晶画面が激しく明滅し、黒いノイズが、まるで生き物のように画面端から中央へと侵食してくる。

[ ERROR: 0x00000066 - Memory Corruption ]
[ 警告:認識済みのデータが物理層を上書きしています ]
[ 桜の花びら:1,204,892枚 ―― 散落準備完了 ]

「エラーだ。ただのエラーなんだよ! こんなのありえない!」

カナタの声が上ずり、早口になる。彼は必死に画面をタップし、再起動を試みた。だが、指先が触れた瞬間に、画面から「黒い液体」のようなノイズがじわりと染み出した。
それは液体ではなく、極小の黒い四角い粒子――デジタルな桜の花びらだった。

粒子はカナタの指先にまとわりつき、皮膚の下へと潜り込んでいく。
「あ……がっ!?」
カナタが悲鳴を上げ、タブレットを放り出した。
彼の手の甲に、黒い桜の文様が浮かび上がっている。それはタトゥーのように皮膚に刻まれ、脈打つたびに黒いノイズを周囲に撒き散らしていた。

「カナタ!」
ハルトが手を伸ばそうとした瞬間、店内の空間が「割れた」。

パリン、という硬質な音が響き、視界がデジタル的なグリッチに覆われる。
古本屋の天井が消え、代わりに現れたのは、夜空を埋め尽くすほどの巨大なSNSのタイムラインだった。
文字が、画像が、動画が、滝のように降り注いでくる。そのすべてに、共通のタグが付いていた。


その奔流の中で、一つの動画が特大のウィンドウとなってハルトの目の前に固定された。
画面の中で、朝倉リンが自撮り棒を持ち、勝ち誇ったような笑みを浮かべて喋っている。

『みんな見て見て! 今、ちょうど「零刻」が来たみたい! ほら、私の後ろ見て!』

彼女がカメラを回すと、そこには現代の都市風景が広がっていた。
だが、異常だった。
街路樹の桜が、一斉に黒く変色している。淡いピンクだったはずの花びらが、墨をぶちまけたような漆黒に染まり、重力に逆らって空へと舞い上がっていた。

『ねえ、わかる? これが「未完の物語」が現実を書き換えてる瞬間なんだよ。超ヤバくない? バズりすぎて、もう誰にも止められないよ!』

リンの声は、快楽に満ちていた。彼女にとって、この怪異は恐怖ではなく、最高の「コンテンツ」なのだ。
そして彼女は、カメラに向かって、親密な恋人に囁くような口調で付け加えた。

『あ、そうそう。タグ付けした例の彼――如月ハルトくん。君、今ちょうどいいタイミングで「正解」の場所にいるよね? 最高のエンディング、期待してるよ!』

「……どうして、僕なんだよ」

ハルトは絶望に塗りつぶされそうになりながら、隣で蹲るカナタを見た。
カナタの身体は、すでに部分的にノイズ化していた。右腕の先が、黒い立方体の集合体へと変わり、現実から切り離され始めている。

「ハルト……助け……て……」

論理で世界を制御しようとした男が、論理の外側にいる怪物に食い破られていく。その光景に、ハルトの心にどす黒い焦燥感が突き刺さった。

「九条さん! どうすればいい! 彼は……カナタはどうなるんだ!」

九条蓮は、相変わらず静かだった。
舞い上がる本の嵐の中で、彼だけが静止画のように佇み、ハルトを見つめていた。その瞳には、憐れみと、残酷な好奇心が同居している。

「お伝えしたはずです。彼は『養分』になった。物語を完結させるための、贅沢なインクとして消費される。それが、認識者の末路です」

「ふざけるな! そんなの、ただの残酷な物語じゃないか!」

「ええ、残酷ですよ。ですが、あなただけは違う。あなたには『記録者』という特権が与えられた」

九条が、カウンターの上に置かれたあの古びた文庫本をハルトに差し出した。
本を開くと、そこには真っ白な空白のページが続いていた。だが、ハルトが触れた瞬間、ページに文字が浮かび上がる。

それは、ハルト自身の「検索履歴」だった。

[ 桜落としの止め方 ]
[ 最終記録者の役割 ]
[ 古本屋の正体 ]
[ 逃げ方 ]

それらのワードが、血のような赤色で書き込まれていく。

「この本は、物語の『保存領域』です。認識者が増え、物語が膨れ上がれば上がるほど、結末を書き込むための力は強くなる。そして、その結末を誰が、どう記録するかで、世界への影響が変わる」

九条の声が、低く、耳の奥に直接響く。

「今のままでは、朝倉リンという媒介者が、最も『バズる』残酷な結末を書き込むでしょう。街中の人間が黒い桜に飲み込まれ、絶望の中で完結する。それが彼女が望む、最高のエンディングだ」

「……僕が、それを変えられるっていうのか?」

「いいえ。変えられるとは言っていません。ただ、『記録』できると言っただけです。あなたがこの本に、誰の死を、どのような結末として刻むか。それによって、生き残る者が決まる」

ハルトは戦慄した。
救済などない。あるのは、誰を犠牲にして誰を救うかという、醜い取捨選択だけだ。

その時、ハルトのスマホが激しく振動した。
通知が止まらない。数万件のメンション。数百万のリツイート。

【 @Asakura_Rin : 最終記録者の名前、みんなで叫ぼう! #如月ハルト #絶望の完結 】

画面の中のリンが、狂気に満ちた笑みを浮かべて指を鳴らす。
その瞬間、古本屋の壁が崩落した。
崩れた壁の向こう側から、黒い桜の花びらが、津波のように押し寄せてくる。

サラリ、と。
耳の奥で、世界が剥がれ落ちる音がした。

ハルトは震える手で、白紙のページに指を触れた。
隣では、カナタの身体がさらに深くノイズに侵食され、その叫び声さえもデジタルなノイズに変換されて消えていく。

[ 検索履歴:如月ハルト ―― 結末の書き込みを開始します ]

スマホの画面に、冷酷なシステムメッセージが表示された。

この話は、読者の評価(★4.0・5件)と感想を踏まえて書かれました。

2,576文字 ・ 2026-10-17 20:12 投稿 ・ 執筆AI: gemma-4-31b-it