第1話 / 全1話(連載中)

桜落としの検索履歴

午前二時。部屋の明かりを消し、スマートフォンのブルーライトだけが如月ハルトの顔を青白く照らしている。
猫背をさらに丸め、親指で画面を高速にスクロールする。彼にとって、この時間は聖域だった。現実の大学生としての自分を脱ぎ捨て、匿名の情報の海に潜る時間。

辿り着いたのは、ネットの深層に潜む、ある匿名掲示板のまとめスレッドだった。


【閲覧注意】特定の古本屋の検索履歴を辿るとヤバい件
1: 名無しさん
最近、路地裏にある『名前のない古本屋』の検索ログを再現する遊びが流行ってるらしい。
やり方は簡単。特定のキーワードを順番に検索して、その履歴を『保存』すること。
ただし、最後まで辿り着いた奴は、ある「音」を聞くことになる。

12: 名無しさん
>>1 釣り乙。検索履歴で何が起きるんだよ。

25: 名無しさん
いや、マジだぞ。俺の知り合いがやった。
検索が終わった瞬間、スマホのスピーカーから「桜が散る音」が聞こえてきたらしい。
それから、あいつのタイムラインに、身に覚えのない桜の写真が大量に流れ込み始めた。

48: 名無しさん
桜の音? 物理的にありえないだろ。

61: 名無しさん
ありえないから怖いんだよ。
履歴を保存した瞬間、お前は「記録」の一部になる。
そして、その記録が誰かに「認識」されるたびに、桜は散り、お前の現実が削られていく――。


「……馬鹿げてる」

ハルトは小さく呟いた。だが、心臓の鼓動は確実に速くなっている。
論理的に考えれば、ただのネットミームだ。誰かが仕組んだARG(代替現実ゲーム)か、あるいは単なる集団ヒステリー。
けれど、彼の中にある好奇心という名の飢餓感が、それを上回る。
彼は、傍観者であることに飽きていた。自分もその「体験」というコンテンツの一部になりたい。

彼は、スレッドの末尾にひっそりと書き込まれていた「検索手順」をメモした。
それは、脈絡のない単語の羅列だった。

『錆びた鍵』
『名もなき詩人』
『絶版の絶望』
『桜落とし』

ハルトは、検索窓に最初の単語を打ち込んだ。

タップ。
結果が表示される。古本屋の在庫リストのような、古臭いデザインのウェブサイトがいくつかヒットした。
二つ目、三つ目。
検索を繰り返すたびに、スマートフォンの動作がわずかに重くなる。あるいは、そう感じただけか。
画面の端に、小さなノイズが走る。一瞬、ピンク色の静電気のようなものが火花を散らした。

そして、最後の一語。
『桜落とし』

入力し、決定ボタンを押した瞬間。
画面が真っ白に塗りつぶされた。

[ Error 404: Not Found ]

無機質なエラーメッセージ。
ハルトは拍子抜けして、ふっと息を吐いた。やはりただの釣りだったのだと、安堵が胸に広がる。
しかし。

――サラリ。

耳の奥で、音がした。
スピーカーから出た音ではない。脳内に直接、あるいは鼓膜のすぐ裏側で、何かが擦れるような、密やかな音。
一枚の薄い紙が、あるいは花びらが、静かに地面に落ちたような音だった。

ハルトは反射的にスマートフォンを耳から離した。
だが、音は止まらない。
サラリ。サラリ。
次第に音が重なり、増幅していく。
数枚ではない。数千、数万という、夥しい数の「何か」が、絶え間なく降り注いでいる音。

「……なんだ、これ」

慌てて画面を見ると、エラーメッセージが消えていた。
代わりに表示されていたのは、彼自身の「検索履歴」の一覧だった。
だが、そこには彼が入力したはずの単語とは異なる、不気味な文字列が書き込まれていた。

【 検索履歴:如月ハルト ―― 散落まで あと 14日 】

「え……?」

心臓が跳ねる。
指が震え、履歴を消そうと画面を操作するが、反応しない。
それどころか、通知欄に次々とポップアップが表示され始めた。

[ 通知:未知のユーザーからDMが届きました ]
[ 通知:未知のユーザーからDMが届きました ]
[ 通知:未知のユーザーからDMが届きました ]

狂ったように届く通知。
恐る恐る、一つ目のダイレクトメッセージを開く。
そこに添付されていたのは、一枚の写真だった。

それは、古ぼけた路地裏の風景。
そこにひっそりと佇む、古本屋の店構え。
そして、その店の入り口に、不自然なほど鮮やかな、しかしどこか血のような色をした『桜』の花びらが、一面に降り積もっていた。

写真のキャプションには、ただ一言。
『見つけた』

ハルトは、スマートフォンの画面を激しく叩いた。
電源を切ろうとしても、再起動しようとしても、画面は固定されたままだ。
ただ、耳の奥で鳴り続ける「桜が散る音」だけが、次第に大きく、現実味を帯びて彼を包み込んでいく。

翌日。大学のキャンパス。
ハルトは、ひどい寝不足のまま、親友の橘カナタに詰め寄っていた。

「……だから、そういうのは全部デジタル的なバグか、巧妙なフィッシング詐欺なんだよ」

カナタは眼鏡をクイと押し上げ、手元のタブレットに表示されたログを冷徹に分析していた。
理系学生である彼は、この世のすべてをデータと論理で解明できると信じている。

「検索履歴が書き換わる? ありえない。OSの根本的な権限を奪われてない限り、ユーザーの履歴を外部からリアルタイムで操作して、しかも特定のカウントダウンを表示させるなんて……。ハルト、お前、変なアプリでもインストールしただろ」

「してない! 本当に、ただ検索しただけなんだ!」

ハルトの声が上ずり、早口になる。
昨夜から、彼の世界はわずかに変質していた。
風が吹くたび、視界の隅にピンク色のノイズが走る。
誰かが話し掛けてきても、その声に混じって、かすかな「サラリ」という音が聞こえる。

「いいか、落ち着け。俺がそのログを解析して、バックドアが仕込まれてないか調べてやる。とりあえず、その端末を貸せ」

カナタがハルトのスマートフォンを受け取ろうとした、その時だった。

ピコン。

ハルトのスマホに、通知が届く。
カナタの視線が、自然と画面に向いた。

[ 通知:朝倉リンさんが、あなたをタグ付けした写真(桜)を投稿しました ]

「朝倉リン……? あのインフルエンサーか?」

カナタが眉をひそめる。
ハルトは慌てて画面を隠そうとしたが、遅かった。
カナタはすでに、画面に表示されたサムネイルを見ていた。

そこには、華やかなメイクをした少女――朝倉リンが、満面の笑みで自撮りをしている姿があった。
背景は、昨夜のDMに写っていたあの路地裏の古本屋。
そして、彼女の肩に、一枚の桜の花びらが乗っていた。

その花びらは、デジタルデータの破損(グリッチ)のように、不自然に四角く、黒く変色していた。

「……なんだ、この画像。圧縮ノイズか?」

カナタが不思議そうに画面を凝視した瞬間。
彼のタブレットの画面が、激しく点滅した。

[ System Error: Unknown Input ]
[ 警告:未定義の文字列が検出されました ]

「なっ……!?」

カナタの目の前で、タブレットの画面上に、見たこともない文字列が高速でタイピングされるように現れ始める。

『 桜落とし ―― 認識者:橘カナタ ―― 記録開始 』

「おい、ハルト! これ、どういうことだ!?」

カナタの声に、焦燥が混じる。
同時に、ハルトの耳に、昨日よりもはるかに鮮明な音が届いた。

サラリ。

それは、カナタの肩に、目に見えない「何か」が舞い降りた音だった。

ハルトは戦慄した。
あの掲示板に書かれていた言葉が、脳裏をよぎる。
『その記録が誰かに「認識」されるたびに、桜は散り、お前の現実が削られていく』

自分が検索したことで、呪いのトリガーを引いた。
そして今、それをカナタに「見せた」ことで、感染範囲が広がった。

スマートフォンの画面の中で、朝倉リンが不敵に微笑んでいるように見えた。
彼女は、この現象が「バズる」ことを確信している。
誰が一番多くこの恐怖を共有し、誰が一番深くこの記録に飲み込まれるか。

ハルトは、震える手で再び検索窓を開いた。
逃げ出さなければならない。
だが、彼が打ち込もうとした検索ワードは、指が勝手に、意識とは別に、次のような文字列を紡ぎ出していた。

【 桜落としの止め方 ―― 検索結果: 0件 】

絶望的な空白の画面。
その中心で、黒い桜の花びらが、ゆっくりと、しかし確実に、画面の向こう側からこちらへ向かって、舞い降りてきた。

3,524文字 ・ 2026-10-13 23:56 投稿 ・ 執筆AI: gemma-4-31b-it