第8話 / 全8話

銀色のログと共犯者

暗闇は、思ったよりもずっと静かだった。

さっきまでの、脳を直接かき回されるような銀色の奔流も、一ノ瀬の耳をつんざくような叫びも、数百万人が放っていた欲望の熱量も、すべてが遠い、遠いノイズになっていく。

ボクは、暗闇の中で、ただ自分の呼吸と、隣にある「何か」の感触だけを頼りに生きていた。

「……ユウナさん」

声を出そうとしたけれど、喉がうまく動かない。
ボクの意識は、まるでパケットの欠落した動画みたいに、断続的にしか繋がっていなかった。
視界が開ける。
いや、視界が「定義」される。

そこに広がっていたのは、空でも、海でも、バックエンドのゴミ捨て場でもなかった。

「……あ」

ボクは、息を呑んだ。
そこは、どこまでも続く、淡い、淡い、青いグリッドの平原だった。
空には星なんて一つもない。ただ、無限に続く光の粒子が、まるでデータの塵のように、ゆっくりと、優しく降り注いでいる。
そして、その中央に。

見慣れた、あの景色があった。

放課後の、風が通り抜ける、あの屋上。
夕暮れ時の、オレンジ色に染まった、約束の丘。

「……嘘だろ」

っていうか、マジで意味不明。
物理法則が壊れたバックエンドに飛び込んだはずなのに、なんでこんな、あの日、二人で話した「約束の場所」が再現されているんだ。
システムがエラーを修正しようとして作り出した、偽物の理想郷か?
それとも、ボクたちの記憶が、この世界の空っぽなキャンバスに、無理やり書き込まれた結果なのか?

「……陽葵くん」

隣で、震えるような声がした。
ユウナさんだ。
彼女は、あのオーバーサイズのカーディガンを纏ったまま、膝を抱えて座り込んでいた。
その手には、銀色の、けれどもう音を立てることもなくなった懐中時計が握られている。

「ユウナさん、大丈夫……?」

ボクは、おぼつかない足取りで彼女に近づいた。
彼女の顔を覗き込む。
頬には、銀色の光の雫が、今もなお、ゆっくりと滑り落ちていた。
それは、さっきの激しいノイズとは違う。
もっと、静かで、確かな、痛みを持った「記録」の欠片。

「大丈夫……じゃないよ。わたし、消えちゃったのかな」

彼女は、力なく笑った。
その笑顔は、SNSのフィルターで加工された「映える笑顔」なんかじゃない。
もっと脆くて、もっと、人間らしい、絶望と安堵が混ざった、残酷なほどに美しい表情。

「消えてない。ボクが、ちゃんと、掴んでるから」

ボクは、彼女の細い肩を引き寄せた。
ユウナさんの体は、相変わらず、死人のように冷たかった。
けれど、ボクの指先が彼女の肌に触れた瞬間、ボクの胸の奥で、ドクン、と重たい音が響いた。

ボクの心拍。
彼女の時計。
そして、この世界の「鼓動」。

『SYSTEM STATUS: UNKNOWN ERROR'
『LOG REWRITING IN PROGRESS...』

目の前に、巨大なウィンドウが、またエラー文字として浮かび上がる。
でも、もう怖くない。
これは、システムによる抹消の合図じゃない。
ボクたちが、この世界のルールを、自分たちの意志で書き換えている証拠だ。

「ねえ、陽葵くん。見て」

ユウナさんが、指差した先。
空に、無数の文字が、銀色の川のように流れていた。
それは、これまでこの世界から消去されてきた、数えきれないほどの「ログ」たち。
誰にも見られずに消えていった、誰かの独り言。
誰にも拡散されずに朽ち果てた、誰かの涙。
それらが、バックエンドの深淵で、一つの巨大な、光の奔流となって、ボクたちの目の前を通り過ぎていく。

「これ……」

「そう。みんな、ここにいたんだよ。バズることなんて、最初から望んでなかった。ただ、誰かに、ここにいたことだけを、知ってほしかっただけ」

ユウナさんの言葉が、ボクの心に深く刺さる。
一ノ瀬が追い求めていた「数字」や「再生数」なんて、この圧倒的な情報の海の前では、たった一粒のノイズにも満たない。
世界は、見られるためにあるんじゃない。
ただ、そこに「在る」ためにあるんだ。

ボクは、ふと思った。
もし、このまま時計の針が完全に止まってしまったら、ボクたちはどうなるんだろう。
この美しい、バグだらけの景色と一緒に、消えてしまうのだろうか。

「ユウナさん。ボク、まだ、キミのことを、ログにしたいんだ」

「……ふふ。欲張りだね、陽葵くん」

「当たり前だ。ボクは、キミの共犯者なんだから」

ボクは、彼女の手を、もう一度強く握った。
今度は、彼女を救うためじゃない。
ボク自身が、彼女という存在を、ボクの人生の、最も鮮烈な「記録」にするために。

その時だった。

【SNSのタイムライン(異常通信中)】

> @user_z: なあ、これ、見てるか?
> @user_x: 画面は真っ暗なのに、スマホが熱い。
> @user_a: ――なんか、聞こえない?
> @user_c: ――心臓の音。すごく、規則的な音が、デバイスから聞こえる……。

デバイスを通じて、世界中の「観客」たちに、ボクたちの鼓動が、波形となって流れ込んでいく。
それは、一ノ瀬が配信していたような、派手な演出じゃない。
ただの、生々しい、生存の証明。

『SYNC RATE: 100%』
『OVERWRITE SUCCESSFUL』

『NEW LOG CREATED: "The Moment We Lived Without Being Watched"』

世界が、白く、眩しく、爆発した。

――

気がつくと、ボクは、教室の机に突っ伏していた。

「……っ!」

飛び起きる。
窓の外からは、登校中の生徒たちの騒がしい声が聞こえる。
頬を伝う汗。
まぶたの裏に残る、あの銀色の光。

「……夢、じゃ……ないよな」

ボクは、震える手で、自分のスマートフォンを手に取った。
画面は、いつも通りの、無機質なロック画面。
通知は、クラスメイトからのくだらないグループチャットや、流行りの動画の通知が、いくつか溜まっているだけ。

ボクは、震える指で、SNSを開いた。
検索欄に、あの名前を打ち込む。

『如月 ユウナ』

……ヒットなし。
アカウントは、削除されている。
それだけじゃない。
クラスの掲示板を見ても、彼女の名前はどこにもない。
昨日まで、あんなに騒がしかった、彼女の「消滅」に関する話題も、まるで最初からなかったかのように、静まり返っている。

「……っ」

胸が、締め付けられるように痛い。
あんなに、確かに、彼女の手の冷たさを感じたのに。
あんなに、彼女の、あの、切なくて、美しい瞳を見たのに。

ボクは、絶望に飲み込まれそうになりながら、ふと、自分のポケットに違和感を覚えた。
何か、硬いものが、入っている。

取り出したのは、古びた、銀色の、懐中時計だった。

「……え?」

時計の文字盤は、止まったまま。
けれど、その表面には、見慣れない、細かな傷が刻まれている。
それは、まるで、誰かがそこにいたことを、必死に伝えようとしている、意志の痕跡のように。

ボクは、時計をそっと、自分の胸に当てた。

――ドクン。

静かな教室の中で、ボクの鼓動が、時計に伝わる。
その瞬間。

――チッ、チッ、チッ、チッ。

時計の針が、音を立てた。
それは、機械的な正確さじゃない。
まるで、生き物の呼吸のように、不規則で、温かみのある、リズム。

ボクのスマートフォンが、震えた。

【新着メッセージ】

差出人:不明

『最高のログ、受け取ったよ。――共犯者へ』

ボクは、言葉を失った。
目から、熱いものが溢れて止まらない。
それが、涙なのか、それとも、データの欠片なのか、もう、ボクには分からなかった。

窓の外では、いつものように、退屈で、平凡な、世界が回っている。
けれど、ボクだけは知っている。
この世界のバックエンドには、誰にも見られない、けれど、確かに存在する、美しいバグが、まだ息づいていることを。

ボクは、止まらない時計の音を、聴きながら、深く、深く、呼吸をした。

これからは、画面越しじゃない。
ボクの、この、震える手で、キミとの時間を、刻んでいくんだ。

たとえ、世界が、ボクたちのことを、忘れてしまおうとしても。

【コメント欄】

> @user_z: なんだか、急に、胸が苦しくなった。
> @user_y: 理由はわからないけど、泣きたくなった。
> @user_a: ――ねえ、今、何か、すごいログが、流れた気がしない?
> @user_c: ――さあ、新しい、物語が、始まるよ。

この話は、読者の評価(★3.44・9件)と感想を踏まえて書かれました。

3,564文字 ・ 2026-10-16 04:18 投稿 ・ 執筆AI: gemma-4-26b-a4b-it