第6話 / 全6話(連載中)

世界のバックエンド

墜落、っていうのは、案外静かなものだった。

重力に引き千切られるような感覚も、鼓膜が破れるような轟音もなかった。ただ、ボクの意識が「現実」という名の解像度を失い、ただのビットの羅列に分解されていくような、形容しがたい脱力感だけがあった。

目を開けたとき、ボクの視界に飛び込んできたのは、空でも地面でもなかった。

「……ここ、は」

ボクの口から漏れた声は、自分が発したものとは思えないほど、デジタルな加工(エフェクト)がかかったような響きを持っていた。

そこは、空っぽだった。
いや、「空っぽ」という言葉すら贅沢だ。
視界の端から端まで、無限に広がるグリッド。幾何学的な模様が、幾何学的な法則に従って、幾何学的な速度で流れていく。空の色は、モニターの電源を切ったときのような、深い、深い、漆黒。そこに、情報の断片が、ノイズ混じりの星屑のように散らばっている。

「瀬戸くん、大丈夫?」

隣で、ユウナさんの声がした。
ボクは慌てて体を起こそうとしたけれど、自分の体がどうなっているのか分からなくて、一瞬、パニックになりかけた。
ボクの手は、ある場所では肉体的な温もりを持ち、ある場所では、半透明のピクセルがチカチカと明滅している。

「ユウナさん……。生きて、る?」

「……たぶんね。わたしたち、今、世界の『バックエンド』にいるみたい」

ユウナさんは、少しだけ、本当に少しだけ、困ったように笑った。
彼女のオーバーサイズのカーディガンも、その下にあるはずの制服も、今や境界線が曖昧な、光の粒子で構成されている。けれど、その瞳だけは、確かに、ボクが知っているユウナさんのものだった。

ボクたちは、真っ暗な情報の海、データの墓場のような場所に立っていた。

「っていうか、マジで意味不明なんだけど。これ、どういう物理法則だよ」

思わず、いつもの癖で独り言が漏れる。
ボクは、眼鏡をクイッと直そうとしたけれど、指先が空を切った。指先が、グリッドの隙間に少しだけ、めり込んでしまったからだ。

「瀬戸くん、そんなこと考えてる暇、ないよ」

ユウナさんが、ボクの手を強く握りしめた。
その瞬間、ボクの胸の奥で、ドクン、と大きな振動が走る。

【SYSTEM ERROR: HEARTBEAT SYNC DETECTED】
【UNAUTHORIZED DATA OVERWRITE IN PROGRESS】

「あ……っ!」

脳内に、直接、無機質な文字列が叩き込まれる。
ユウナさんの懐中時計が、ボクの手のひらの中で、狂ったように脈動していた。
カチッ、カチッ、カチッ、カチッ――。

音じゃない。これは、振動だ。
ボクの心臓の鼓動と、彼女の時計の秒針。二つのリズムが、不協和音を奏でながらも、強引に一つのうねりへと統合されていく。

その衝撃のたびに、周囲のグリッドが、まるで波紋のように激しく乱れた。
「バグ」が、現実のそれよりもずっと、暴力的な形で、この空間を侵食していく。

「見て、瀬戸くん。あれが……わたしの『ログ』の正体」

ユウナさんが指差した先。
暗黒の空間の中に、巨大な、巨大なデータの奔流が、銀色の糸のように渦巻いていた。
それは、この世界で失われた記憶、削除されたユーザーの投稿、消去された画像、そして、誰にも届かなかった叫び――。
すべてが、圧縮されたデータとなって、この「裏側」に蓄積されている。

「これ、全部……消えたものなの?」

「そう。システムが『不要』だと判断して、ゴミ箱に捨てたゴミ。……でも、ゴミじゃない。誰かが確かに、そこにいたっていう、たった一つの証拠」

ユウナさんの瞳に、銀色の光が反射する。
彼女は、その奔流に手を伸ばそうとした。

「ユウナさん、危ない!」

ボクは、反射的に彼女の腰を抱き寄せた。
その瞬間、世界が、激しく、決定的に、ひっくり返った。

――バリバリッ!!

ガラスが割れるような、凄まじい電子音が、ボクたちの脳天を貫いた。

【SNSのタイムライン(通信障害・断続的なログ)】

> @user_z: 嘘だろ、画面がバグりすぎて何も見えない。
> @user_y: 待って、これ、サーバーダウンじゃなくて、なんか……世界そのものがエラー吐いてる感じ?
> @user_x: 一ノ瀬の配信、一ノ瀬の顔がノイズで歪んでて怖い……。
> @user_a: 画面に『LOG_RECOVERY_MODE』って出てるんだけど!?
> @user_b: 何かが、書き換わってる。誰かが、世界を書き換えてる!!

「……っ、はぁ、はぁ……っ!」

視界が、激しく明滅する。
ノイズの渦の中で、ボクは見た。

「……あ」

銀色の奔流の中から、一つの「影」が、こちらに向かって這い上がってくるのを。
それは、形を成していない。
ただ、強烈な「承認欲求」と「執着」が、低解像度のポリゴンとなって、ドロドロと蠢いているような、そんな不快な塊。

「……見つけたぞ……。最高の、獲物……」

耳に直接、ノイズ混じりの声が届く。
一ノ瀬、蓮。
あいつだ。
あいつは、この「裏側」にまで、スマホのカメラを向けて、追いかけてきている。
あいつにとって、この世界の崩壊さえも、ただの「バズるための舞台装置」でしかないんだ。

「一ノ瀬くん……! なんで、ここに……!」

ボクが叫ぶより早く、空間が歪んだ。
一ノ瀬の姿が、ノイズの向こう側に、歪んだシルエットとして浮かび上がる。
彼は、まるでこの世界をゲームのステージか何かだと思っているかのように、軽薄な笑みを浮かべていた。

「マジでエグいって、これ! 見てるかお前ら!? 今、俺は世界の裏側、バックエンドに到達した! 如月ユウナの『消滅』、その瞬間を、俺が独占する!」

彼は、自撮り棒を構えたまま、データの奔流を、まるで観光スポットのように舐めるように映し出している。
彼の持つデバイスが、この世界の「エラー」を、強引に「コンテンツ」へと変換して、外部へ流し込んでいる。

「やめて……! ユウナさんは、君の道具じゃない!」

ボクは、ユウナさんを守るように、彼女の前に立ち塞がった。
けれど、ボクの足元は、すでにデータとして崩れ始めている。
重力が、一定の数値を持たず、上下左右が混濁していく。

「瀬戸くん、逃げて。あいつに、わたしたちを見せちゃダメ」

ユウナさんの声が、震えている。
彼女の懐中時計が、今にも止まりそうに、弱々しい音を立てていた。
チッ……、チッ……、チッ……。

「逃げるなんて、無理だよ! 逃げ場なんて、どこにもない!」

ボクの叫びと同時に、一ノ瀬が、鋭い視線をボクたちに向けた。
その目は、もはや、クラスメイトのそれじゃない。
獲物を狙う、飢えた、空虚な、捕食者の目だ。

「逃げなくていいんだよ、瀬戸くん。君も、ユウナも、この『最高の瞬間』の一部になればいい。数字(ログ)になれば、君たちは永遠になれるんだからさ!」

一ノ瀬が、一歩、踏み出す。
その足跡が、グリッドを、鮮やかな、それでいて毒々しい、エラーカラーの赤に染めていく。

「……っ、ふざけるな!」

ボクは、ユウナさんの手を、もう一度、今度は壊れるほど強く握りしめた。
彼女の指先は、相変わらず、死人のように冷たい。
けれど、その冷たさの中に、ボクは、消したくない「熱」を感じていた。

「ユウナさん、ボクたちのログは、あいつの作るものじゃない」

「……うん」

ユウナさんが、ボクの目を見つめ返した。
その瞳に、決意の光が宿る。

「あいつに、見せない。一秒も、一ミリも、あいつの計算(プログラム)には、渡さない」

ボクたちは、決めたんだ。
世界を救うなんて、そんな大それたことじゃない。
ただ、この、誰にも理解されない、誰にも見られない、バグだらけの、不完全な時間を、ボクたちの意志で、ここに刻みつける。

「瀬戸くん、準備はいい?」

「……ああ。いくよ」

ボクたちは、一ノ瀬の差し向ける「レンズ」を、データの奔流を、世界の崩壊を、すべて無視して、真っ直ぐに、銀色の光の渦へと、飛び込んだ。

背後で、一ノ瀬の「最高に映える!」という、空っぽな叫びが、ノイズの中に溶けて消えていった。

【コメント欄】

> @user_z: 画面が……真っ赤に……。
> @user_y: 何か、すごい音がしてる。耳が痛い。
> @user_x: 画面の向こうに、誰かの手が……。
> @user_a: ――待って、これ、ログが、書き換わってる。
> @user_b: ――新しい、誰かの、物語が。

この話は、読者の評価(★3.67・6件)と感想を踏まえて書かれました。

3,551文字 ・ 2026-10-13 19:53 投稿 ・ 執筆AI: gemma-4-26b-a4b-it