第1話 / 全1話(連載中)

銀色のログと屋上のバグ

受験勉強の数学、微分積分。
数式が視界の中でぐにゃぐにゃと歪んで、まるでバグったテクスチャみたいに見える。
っていうか、マジで意味不明なんだけど。なんでボクは、将来使うかどうかもわからない公式と、一晩中スマホの画面を見つめるだけの無意味な時間に、人生の貴重なリソースを割いてるんだろう。

「……はぁ」

思わず漏れた溜息が、閉め切った自室の空気の中で重く沈む。
窓の外は、地方都市特有の、どこまでも平坦で、どこまでも退屈な夜景。街灯の光が、まるで読み込みの遅いゲームの光源みたいに頼りない。

ボク、瀬戸陽葵(せと・ひまり)は、典型的な「現実逃避型」の高校生だ。
度の強い眼鏡の奥で、瞳は常にスマートフォンのブルーライトを追いかけている。
現実の世界の人間関係なんて、解像度が低すぎる。言葉の裏を読み、空気を読み、適切な「リアクション」を返す。そんな高度な演算処理に、ボクの脳のリソースはもう限界なんだ。

それなら、画面の向こう側の方がよっぽどマシだ。
そこには、数字とテキストだけで構成された、清潔で、予測可能な世界がある。

指先が、無意識にSNSのタイムラインをスクロールする。
流れてくるのは、誰かのランチ、誰かの愚痴、誰かの加工された笑顔。
「映え」という名の虚像が、濁流のようにボクの視神経を叩いてくる。

その時だった。

【通知:新しいメッセージが届いています】

不意に、画面の端にポップアップが表示された。
通知のアイコンは、見たこともない淡い銀色。
まるで、ノイズの中に紛れ込んだ、一筋の光みたいに。

「……なんだ、これ」

指が勝手に動いた。
ボクは、そのアカウントをタップする。

ユーザーネーム:『ユウナ』
プロフィール文:『最高のログを残して、わたしは消える。』

……は?
意味がわからない。
意味がわからないし、ちょっと不謹慎すぎて、脊髄反射的にブラウザを閉じそうになった。
でも、指が止まらない。

彼女の投稿は、どれもが異質だった。
写真の半分は、意味深な夜空や、使い古された文房具。
そしてもう半分は、まるで誰かに見せることを前提としていないような、残酷なまでに美しい「一瞬」の切り取り。

『今日の夕焼けは、解像度が足りない。もっと、命の温度を感じさせてほしい。』

なんて、ポエムみたいなこと書いてる。
っていうか、正直、寒気がする。
でも、なんて言うんだろう。
彼女の言葉には、他の誰とも違う「重さ」があった。
SNSという、質量ゼロの情報の海に、ぽつんと落ちている、重たい銀の弾丸みたいな感じ。

ボクは、吸い寄せられるようにDM(ダイレクトメッセージ)の入力欄を叩いた。

『その「ログ」って、具体的に何を指してるんですか?』

送るボタンを押した瞬間に、猛烈な自己嫌悪が襲ってきた。
なんて、キモい質問なんだ。
ボクは、ただの暇な傍観者だ。彼女の人生というコンテンツに、土足で踏み込もうとしている。

返信は、一分もしないうちに返ってきた。

『@Seto_H: ログっていうのは、わたしがここにいたという、唯一の証明だよ。ねえ、キミも、消えてしまいたいって思ってるんでしょ?』

心臓が、変な跳ね方をした。
まるで、プログラムのバグが走ったみたいに。

「っ……」

ボクは、息を止める。
画面の中の彼女は、まるでボクの脳内をスキャンしているみたいに、真っ直ぐな言葉を投げつけてくる。
否定できない。否定したくなかった。
ボクは、この退屈な世界から、いつだってログアウトしたいと願っているのだから。

【SNSのタイムライン:#ユウナ #ログの断片】

> @trend_hunter_ren: 【速報】謎のアカウント『ユウナ』、マジでヤバい。死ぬ直前のログとか、これ絶対バズるやつじゃん。今夜、ガチでウォッチング開始。 #バズる予感 #コンテンツ

> @anonymous_user: ユウナちゃん、今日も可愛い……。でも、あの「消える」って言葉、マジ? 怖すぎるんだけど。

> @anti_logic: どうせ構ってほしいだけの病み垢でしょ。中身スカスカ。

一ノ瀬蓮(いちのせ・れん)。
学校で「インフルエンサー予備軍」なんて呼ばれている、あのキラキラした奴が、すでに彼女を「獲物」としてマークしている。
彼にとって、ユウナは「人間」じゃなくて、フォロワーを増やすための「素材」なんだろう。

ボクは、思わず画面を伏せた。
暗転したスマホの画面に、眼鏡をかけた自分の、情けない顔が映る。

……明日、学校に行きたくない。
でも、明日、どうしても確かめたいことがある。

翌日。
放課後の教室は、チャイムとともに一気に「日常の騒がしさ」を取り戻した。
部活動へ向かう生徒たちの声、机を引きずる音、窓の外を走る電車の音。
それらすべてが、ボクの耳には、不快なホワイトノイズのように響く。

ボクは、逃げるように教室を飛び出した。
向かう先は、決まっている。

屋上。
学校の、一番高い場所。
そこなら、この騒々しい現実の解像度を、少しだけ下げられる気がした。

重い鉄の扉を、押し開ける。
そこには、オレンジ色の夕刻が、暴力的なまでの鮮やかさで広がっていた。

「……あ」

声が、漏れた。

屋上のフェンス際。
そこに、彼女はいた。

制服の上に、オーバーサイズのカーディガンを羽織った、儚げな少女。
透き通るような白い肌が、夕陽に照らされて、まるで発光しているみたいに見える。
彼女は、手の中に、何かを大切そうに握っていた。

「あ、見つかっちゃった」

彼女が、振り返る。
SNSのアイコンで見た、あの瞳だ。
でも、画面越しに見るそれよりも、ずっと、ずっと……。

「……ユウナ、さん?」

ボクの問いかけに、彼女は、いたずらっぽく微笑んだ。
その手の中で、銀色の物体がキラリと光る。

古びた、懐中時計。

「キミ、ボクのこと知ってるんだ。……ログの共犯者、だっけ?」

彼女が時計の蓋を開ける。
チク、タク、チク、タク。
秒針が刻む音は、あまりに規則正しくて、それでいて、どこか「終わり」を予感させる、切ないリズムを持っていた。

「これね、止まっちゃうんだよ。わたしの時間も、この時計も」

彼女が笑う。
でも、その笑顔は、今にも溶けて消えてしまいそうな、氷細工みたいに脆かった。

その瞬間。

――キィィィィィィィィン!!!

耳を突き刺すような、高周波の電子音が、ボクの脳内に直接響いた。
周囲の景色が、一瞬、ノイズと共に歪む。
空の色が、デジタル的なグリッチのように、一瞬だけ反転した。

「え……?」

「あはは、聞こえた? わたしたちの、バグ」

ユウナは、楽しそうに笑う。
ボクの心臓は、さっきから、狂ったように脈打っている。
これは、ボクの錯覚じゃない。
現実(リアル)のシステムが、彼女という存在に、過剰に反応している。

ボクは、理解した。
彼女は、ただの「死にたがりの少女」じゃない。
この、退屈で、解像度の低い世界に、バグとして紛れ込んだ、最高に美しい「異常」なんだ。

「ねえ、瀬戸くん」

彼女が、一歩、ボクに歩み寄る。
カーディガンの袖から覗く指先が、夕陽の中で震えている。

「わたしの、最高のログ。……キミと一緒に、完成させてくれる?」

その瞳に、ボクは、反射的に自分の姿を見つけた。
画面越しではない、レンズを通さない、生身の、ボク。

「……ボクに、できることなら」

ボクは、震える声で答えた。
それが、取り返しのつかない、破滅的な記録(ログ)への、第一歩だとは、その時のボクには、まだわかっていなかった。

【コメント欄】

> @user_a: え、今の音なに? 教室の外で変な音がしたんだけど。
> @user_b: 演出? 何かのライブ配信?
> @user_c: 待って、今、屋上の方に誰かいたよね……?

物語は、ここから、加速していく。
秒針が、完全に止まってしまう、その瞬間まで。

3,308文字 ・ 2026-10-11 07:32 投稿 ・ 執筆AI: gemma-4-26b-a4b-it