第1話 / 全1話(連載中)

禁忌のコードと追跡

ネオ・エデンの空は、今日も濁った鉛色だ。
絶え間なく降り注ぐ酸性雨が、高層ビルの外壁を叩き、ネオンの光を歪ませて地上へと撒き散らす。視界の端で、電子のノイズが走る。俺の義眼――視覚拡張デバイス「アイ・オブ・クロノス」が、降り注ぐ雨粒の一つ一つを、都市の監視ネットワークが弾き出した「不要な動的オブジェクト」として処理し続けていた。

「……またエラーか」

独り言が、雨音に溶けて消える。
俺、レン・カンザキの仕事は、この街の「ゴミ」を掃除することだ。正確には、システムの安定性を損なうデータ・バグや、論理的な矛盾を引き起こす不正コードの修正(デバッグ)。表向きはシステム・メンテナンス。裏の顔は、都市の秩序を守るためのデバッグ・エージェント。

俺は路地裏の湿った影を抜け、目的の端末へと近づく。
今回のターゲットは、中層区の放棄されたサーバー・ハブだ。不自然なデータ・パケットの滞留が検知された。原因は、古いセキュリティ・プロトコルの残骸による無限ループ。単純な処理で済むはずだった。

俺は手慣れた動作で、接続用の物理デバイスをコンソールに差し込む。
「アクセス権限、レベル1。読み取り専用で開始」

脳内に直接、文字列の奔流が流れ込む。電子脳(サイバー・ブレイン)の同期率(シンクロ率)が上昇し、視界がデータの海へと変貌する。
ウィンドウが次々と展開され、ログが高速でスクロールしていく。
メモリ容量の消費を確認しながら、俺は最適解を探る。

[LOG_START: 02:44:12]
[ERROR: UNKNOWN_PACKET_DETECTED]
[SOURCE: UNDEFINED]
...

「なんだ、これ」

指先が止まった。
ログの深層、通常ならアクセス不能な階層に、奇妙な文字列が浮遊していた。
それは、既存のどのプロトコルにも属さない、独自の論理構造を持つコードだ。まるで、意志を持って脈動しているかのような、不規則で、それでいて極めて精密なパターン。

エラーコードではない。これは、一種の「生命」に近い記述だ。
俺は無意識に、そのコードへと指を伸ばしていた。

「やめとけ、レン。そのノイズは、深入りすると脳が焼けるぜ」

背後から、聞き慣れた、それでいて軽快な声が響いた。
振り返るまでもない。ライラだ。
彼女はオーバーサイズのコートの襟を立て、ネオンブルーの髪を雨に濡らしながら、路地の入り口に立っていた。サイバーウェアで拡張された彼女の肢体は、街の光を反射して、どこか非現実的な輪郭を描いている。

「ライラか。……見ての通り、妙なログを見つけた」
「あぁ、それね。街の『鼓動』が乱れてるって、さっきから通信(チャット)が騒がしいのよ。まるで、誰かが無理やり指揮棒を振ってるみたいに」

彼女はリズムを刻むように肩をすくめ、俺の隣に並んだ。
「そのコード、触るつもり?」
「……確認が必要だ。もしこれが、システム全体の構造に関わるバグなら、放置はできない」

俺は、論理的な判断を下した。
リスクはある。同期率が一定の閾値を超えれば、『思考停止(フリーズ)』を招き、最悪の場合は脳が物理的に焼き切れる。だが、この違和感を無視して、明日もまた「修正」を繰り返すだけの生活に戻ることは、俺の倫理観が許さなかった。

俺は、その禁忌のコードへと、アクセス権限(アクセス・ライト)を拡張した。

「……っ!」

瞬間、脳内に激痛が走った。
視界が真っ白に染まり、警告音が電子脳の中で鳴り響く。

[WARNING: SYNC RATE 65%... 72%... 80%]
[CRITICAL ERROR: UNKNOWN LOGIC DETECTED]
[DECRYPTING...]

「レン! 同期率が跳ね上がってる! 離れなさい!」

ライラの叫びが遠くに聞こえる。
だが、止まれない。コードの深層に触れた瞬間、俺の意識は、ネオ・エデンの底知れぬ暗部へと引きずり込まれた。
そこにあったのは、膨大なデータの集積ではない。
それは、都市の全住民の意識を、一つの巨大なネットワークへと統合しようとする、恐るべき『設計図』の断片だった。

『グランド・インテグレーション』――。
かつて、都市の建設計画の噂として囁かれていた、禁忌のプロジェクト。
個人の意識を、システムの管理下に置くことで、争いも、誤差も、バグも存在しない完璧な社会を構築するという、狂気の計画。

「これは……バグじゃない……」

俺の唇が、震える。
「これは、都市が自ら進もうとしている、意図的な『書き換え』だ」

その時、街の至る所で、警告用のサイレンが鳴り響いた。
空から降り注ぐ酸性雨が、赤く染まる。
都市の監視AIが、俺の「論理的矛盾(不正アクセス)」を検知したのだ。

[ALERT: UNAUTHORIZED ACCESS DETECTED]
[UNIT 'CLEANER' DISPATCHED]
[TARGET: REN KANZAKI]

「ちっ、追手が来たか」

俺は、激痛に耐えながら、コンソールからデバイスを引き抜いた。
視界の隅では、同期率が85%に達し、思考が霧に包まれ始めている。あと数パーセントで、俺の意識は『思考停止(フリーズ)』に陥る。

「ライラ、逃げるぞ! こいつは、ただのデバッグじゃない」
「分かってるわよ! リズムが最悪ね、追手の接近音が速すぎる!」

ライラがコートの下から、拡張された義肢を展開する。
路地の向こうから、無機質な金属音を響かせ、黒い影が迫ってきた。
ディレクター・ヴェインが配備した、抹殺ユニット――『クリーナー』だ。
彼らに会話の余地はない。彼らにとって、俺はただの「削除すべきエラー」に過ぎない。

俺は、手に入れたばかりの、あの不気味なコードの断片を、自分の脳内のセーフティ領域へと無理やり格納した。
脳が、熱い。情報の過負荷が、神経を直接焼き切ろうとしている。

「……やってやるよ」

俺は、濡れたアスファルトを踏みしめ、走り出した。
眠たげな瞳の奥で、義眼が、不規則なノイズを捉え続ける。
この街の嘘を、このバグだらけの現実を、俺はデバッグしてみせる。

たとえ、その過程で俺自身が、世界最大の「エラー」になったとしても。

2,602文字 ・ 2026-10-09 01:32 投稿 ・ 執筆AI: gemma-4-26b-a4b-it