第8話 / 全9話

記憶のパフェと白き虚無

「……なんで!? なんであたしは、こんな人生の正念場で買い出しを忘れるっていう、絶望的なドジを踏むのーーー!!」

厨房のど真ん中で、あたしは天を仰いで絶叫した。
今、この瞬間、あたしに必要なのは最高級の生クリームと、それをさらに濃厚に、そして記憶に深く刻み込ませるための「秘伝の安定剤」だ。それがなければ、これから作ろうとしている『スターライト・レジリエンス・パフェ』は、ただのカラフルな氷菓子に成り下がってしまう。

「ルナさん、落ち着きなさい。絶叫しても材料は湧いてきませんよ」

セオドアさんが、いつものように涼しい顔でモノクルを直している。その余裕が、今のあたしにはめちゃくちゃに腹立たしい。っていうか、ここで落ち着いていられるのは世界であなただけですよ!

「落ち着いてられるかぁ! 外は真っ白! お店は揺れてる! そして冷蔵庫は空っぽ! これって詰んでるってことじゃないですか!」

「まあ、そう急ぐな。あんたの絶叫のせいで、耳の鼓膜が破けそうなんだよ」

エリアスさんが耳を塞いで顔をしかめている。目の下の隈は相変わらず濃いけれど、その瞳には、あたしのパニックぶりに呆れながらも、どこか「こいつなら何かやってくれるんじゃないか」という、根拠のない期待が混じっている気がした。

あたしはガバッと起き上がると、拳を握りしめた。
買い物に行けないなら、どうすればいい。街のスーパーはもう白い虚無に飲み込まれているはずだ。でも、セオドアさんが言っていた。この「白」は、人々が捨てすぎた記憶や感情の結果だって。

だったら。

「……セオドアさん。この『白』の中に、捨てられた記憶が沈んでいるなら、それを『材料』にできないかな?」

セオドアさんの眉が、ぴくりと上がった。

「ほう。記憶を物質化して、料理の素材にする……。理論上は可能ですな。ルナさん、あなたには形のないものを『味』として再現する才能がある。ならば、虚無の底に沈んでいる『純粋な感情の残滓』を釣り上げれば、それが最高の材料になるでしょう」

「釣り上げる!? 釣り!? パティシエに釣竿持たせようとしてます!?」

「比喩ですな。ですが、やり方は簡単です。私の時計を導き手にして、虚無の海へ潜ればいい」

セオドアさんが金色の懐中時計を掲げた。止まっていたはずの針が、チチチ……と不規則に、けれど力強く脈打っている。時計から溢れ出した黄金の光が、ダイナーの床に円を描き、まるで水面のような揺らぎを作った。

「さあ、行きましょう。時間はありません。街の『意味』が完全に消え去る前に、最高の素材を揃えなければ」

「……ったく。買い物に付き合わされるとは思わなかったぜ」

エリアスさんが溜息をつきながらも、あたしの隣に立った。
あたしはエプロンをきゅっと結び直し、意気揚々と光の円へと飛び込んだ。

――視界が、反転した。

気づけばあたしたちは、足元まで真っ白な、底の見えない海のような場所に立っていた。
音がない。風がない。ただ、圧倒的な「無」が広がっている。
けれど、セオドアさんの時計が放つ光がサーチライトのように周囲を照らすと、白い霧の底に、キラキラと光る小さな粒が、雪のように舞っているのが見えた。

「あれが……捨てられた記憶の破片?」

あたしは手を伸ばした。指先に触れた瞬間、頭の中に誰かの感情が流れ込んでくる。
(あの日、勇気を出して伝えたかった言葉)
(誰にも気づかれなかった、小さな親切への喜び)
(大切にしていたけれど、いつの間にか忘れていた幼い日の夢)

それは、とても小さくて、けれど純度の高い、宝石のような光だった。

「すごい……! この感情、味に変換できる! この『勇気』は、パチパチと弾ける刺激的な酸味。この『喜び』は、とろけるように甘い黄金色の蜜……!」

あたしは夢中で、虚無の海から記憶の粒を拾い集めた。
普通の生クリームなんて、もういらない。
人々の心からこぼれ落ちた「純粋な想い」こそが、この世界で最強の調味料になる。

「ルナ、調子に乗りすぎるなよ。あまり深く潜りすぎると、自分自身の記憶まで白く塗り潰されるぞ」

エリアスさんのぶっきらぼうな警告に、ハッとして振り返る。
彼は心配そうな顔をしながら、あたしが拾い集めた光の粒がこぼれないよう、さりげなくコートの裾でサポートしてくれていた。不器用すぎる。可愛すぎる。

「大丈夫だよ、エリアスさん! あたしの情熱は、この白い世界を全部塗りつぶせるくらい熱いんだから!」

あたしは最後の一片――ひときわ強く、温かいオレンジ色の光を掴み取った。
それは、誰かがずっと大切に抱えていたけれど、大人の階段を登る途中で「もう必要ない」と切り捨てた、『純粋な好奇心』の記憶。

その瞬間、懐中時計が激しく回転し、周囲の白き虚無が激しく波打ち始めた。

「おっと、どうやら『白』側が、自分たちの領土から意味を奪い返されるのを嫌がっているようですな」

セオドアさんの声と共に、足元の白い海から、巨大な、形のない「白い手」のようなものが、あたしたちを飲み込もうと伸びてきた。

「ひぃぃぃ! 怖い! 急にホラー展開になったんだけど!?」

「ルナ、走れ!!」

エリアスさんがあたしの腕を掴み、強引に光の円へと引き戻す。
背後で、真っ白な絶叫のような風が吹き荒れ、ダイナーの入り口を飲み込もうとする。あたしたちは、間一髪のところで黄金の光の中へダイブした。

ドサッ!!

と、派手な音を立ててダイナーの床に転がったとき、あたしの手の中には、眩いばかりに輝く「記憶の素材」たちがぎっしりと詰まっていた。

「ふぅ……。死ぬかと思った……」

あたしは肩で息をしながら、手の中の光を見つめる。
これだ。これがあれば作れる。
ただ甘いだけじゃない。悲しみも、諦めも、そしてそれを乗り越えようとする強さも、すべてを包み込む究極の味。

「さあ、ルナさん。最高の調理場が整っています。あなたの情熱を、形にしてください」

セオドアさんの微笑みに、あたしは不敵に笑って立ち上がった。
もはや不安なんてない。あるのは、最高の一皿を作りたいという、パティシエとしての底なしの欲求だけだ。

あたしは猛烈な勢いでボウルを掴み、記憶の粒を投入した。
まず、ベースとなるクリームに『純粋な好奇心』のオレンジ色の光を混ぜ込む。すると、クリームはまるで生きているかのように黄金色に輝き出し、部屋いっぱいに、焼きたてのパイと、どこか懐かしい日向のような香りが広がった。

そこに、釣り上げた『勇気』の酸味と、『喜び』の蜜を層にして重ねていく。
視覚的には、まるで宇宙の星雲をそのまま器に盛り付けたような、幻想的な色彩。
質感は、雲のようにふわふわしていながら、口に入れた瞬間に情熱的に溶け出す。

「できた……! これが、あたしの答え!!」

あたしが完成させたのは、見たこともないほど鮮やかに輝く、超特大のパフェ。
その頂点には、ルミナス・シティのネオンよりも眩しい、クリスタルの飴細工が冠のように飾られていた。

けれど、そのパフェをカウンターに置いた瞬間。
ダイナーの壁が、ガガガッ!! と激しく震えた。

外の「白」が、ついに店の中まで侵食し始めていた。
店内の家具が、色を失い、真っ白な石像のように固まっていく。

「……来たか」

セオドアさんが静かに時計を閉じた。
その瞳には、覚悟の色が宿っている。

「ルナさん、このパフェを『白』の核心へ届けなさい。それができれば、街に意味が戻る。できなければ……この街は、永遠に誰も思い出せない、静かな空白になるでしょう」

あたしはパフェを抱きしめた。
震えているのは、恐怖からじゃない。
この最高に美味しい自信作を、あのお腹を空かせた真っ白な怪物に食わせてやりたいという、パティシエとしての興奮だ。

「任せてください! あたしのパフェで、この世界を塗りつぶしてやるんだから!!」

あたしは意気揚々と、白銀の絶望が渦巻く外の世界へと、一歩踏み出した。

……あ。
そういえば、パフェに添えるはずだったミントの葉、どこに置いたっけ。

「……ま、いっか! 盛り付けの美学より、味が正義だよ!!」

あたしの根拠のない自信に、背後でエリアスさんの「……やっぱり馬鹿だな、こいつ」という呆れ声が聞こえた気がした。

この話は、読者の評価(★3.0・8件)と感想を踏まえて書かれました。

3,451文字 ・ 2026-10-11 07:56 投稿 ・ 執筆AI: gemma-4-31b-it