第3話 / 全3話(連載中)

現実への逃避行

「……行こう。どこへでも」

ボクがそう言うと、彼女は初めて、子供のように屈託なく笑った。
その笑顔は、どんな高画質なディスプレイよりも、鮮やかにボクの視界を染め上げた。

……なんて、ちょっと格好つけすぎたかな。
実際は、緊張しすぎて心臓が口から出そうだったし、何を話せばいいのか一点も分からなかった。
はい、ここで恋愛フラグ、全開。
ボクは、デジタルな迷宮を抜けて、もっと複雑で、もっと残酷で、けれど最高に愛おしい「現実」という名の沼に、どっぷりと浸かった。

空が今のボクを見たら、きっと「効率が悪すぎる!」って怒るだろうな。
でも、それでいい。
数字にならない時間こそが、今のボクには必要だったから。

「……行こう。どこへでも」

ボクがそう言うと、彼女は初めて、子供のように屈託なく笑った。
その笑顔は、どんな高画質なディスプレイよりも、鮮やかにボクの視界を染め上げた。


「……え、待って。今、何て言ったの?」

貯水池の、静まり返った空気の中で、ボクは思わず聞き返した。
握られた手の冷たさが、ボクの体温を少しずつ奪っていく。彼女の瞳は、さっきまでの「見つかった喜び」から、一転して、深い霧の向こう側を見つめるような、どこか遠いものへと変わっていた。

「連れ出して、って言ったの。でも、それは……『どこかへ行く』って意味じゃないんだよ」

彼女――ナギは、ボクの言葉を反芻するように、小さく、けれどはっきりと告げた。
彼女の手が、ゆっくりと離れていく。
春の風が、二人の間に冷たい隙間を作った。

「私はね、ずっと、自分を消すことでしか、自分を保てなかった。新しいアカウントを作るたびに、私は『新しい私』になれる。過去の失敗も、誰かに言われた傷つく言葉も、すべてデリートして。……でも、それって、ずっと、誰でもない自分を演じ続けているだけなんだよね」

彼女の言葉は、まるで古い映画の台詞みたいに、どこか浮世離れして聞こえた。
けれど、その瞳に宿る光は、間違いなくリアルだ。

「ナギ、君が言いたいのは……」

「……私には、逃げ場所が必要なの。デジタルな場所じゃなくて。でも、どこへ逃げても、私は『私』を連れてきちゃう。だから、誰かに、強制的に止めてほしかった」

彼女は自嘲気味に微笑む。
その瞬間、ボクのスマホがまた震えた。
今度は空じゃない。
見知らぬアカウントからの、ダイレクトメッセージ。

[ @ghost_user_00 : Nagiを見つけたのは君か? ]

ボクは思わず眉をひそめる。
なんだ、この不気味なメッセージは。
まるで、物語の裏側で進行している、見えないプログラムのバグみたいだ。

[ @ghost_user_00 : 彼女の『物語』を勝手に完結させないでほしい。彼女はまだ、書き換えられるべきコードを抱えている ]

「……っ」

ボクは指先が震えるのを抑えられなかった。
画面の向こう側にいる「誰か」が、まるでボクのすぐ後ろに立っているような、そんな錯覚に陥る。

「ナギ、これ……」

「……また、来たんだね」

彼女はボクのスマホを覗き込むこともせず、ただ、空を見上げていた。
まるで、そのメッセージが、最初から決まっていた運命のログであるかのように。

「ねえ、遥希くん。もし、私がまた『消えたい』って思ったら、その時はどうする?」

彼女がボクの名前を呼んだ。
画面越しではない、生身の、震える声で。

「……そんなの、決められないよ。ボクだって、君が何者なのか、まだ半分も分かってないんだから」

ボクは、自分の中の「誠実さ」という名の、不器用な武器を振りかざす。
嘘をつくなんて、ボクには無理だ。
「大丈夫だよ」なんて、安っぽい台詞を吐く勇気も、今のボクにはない。

「……ふふ、そうだよね。君は、すごく正直な人なんだ」

彼女は、少しだけ安心したように息をついた。
けれど、その表情はまだ、晴れない。

その時、ボクの脳裏を、一つの疑問がよぎった。
彼女が残してきたハッシュタグ。
『#stop_motion_blue_』に続く、あの日付。

0224、0312、そして今日、0405。
これらは単なる場所を示す鍵だったのか?
それとも、彼女が「自分を消去する」ための、カウントダウンだったのか?

「ナギ。君が消したかったのは、君自身なのか? それとも、君を縛っている『何か』なのか?」

ボクの問いに、彼女は答えなかった。
代わりに、彼女はポケットから、一台の古い、使い古されたデジタルカメラを取り出した。

「これ、見て。私が見てきた、世界の欠片」

彼女がカメラの再生ボタンを押す。
液晶画面に映し出されたのは、ボクが知っている、けれど、どこか知らない風景の断片だった。
ブレた光、不自然に切り取られた空、そして――。

[ 💬 ライブ配信ログ(バックグラウンド再生中) ]
[ 02:14:05 User_A: Nagiのアカウント、また消えたぞ! ]
[ 02:14:10 User_B: これ、もはや都市伝説だろwww ]
[ 02:14:15 User_C: 次のタグ、予測できた奴いる? ]
[ 02:14:20 User_D: 0405……今日だろ? ]

ボクの耳に、イヤホン越しに聞こえていた配信のログが、現実の音と混ざり合って響く。
ネットの熱狂。
情報の断片。
そして、目の前で静かに佇む、一人の少女。

「ねえ、遥希くん。このカメラの最後に、記録されているもの。それを見つけたら、私は本当に、『私』になれるかな」

彼女が指し示したのは、カメラの最後の一枚。
それは、真っ暗な画面だった。
何も映っていない。
ただ、静寂だけが、そこに記録されている。

「……そんなの、意味がないじゃないか」

「いいえ。意味がないからこそ、そこに『次の何か』を書き込めるの」

彼女はボクの手を、今度は強く、壊れそうなほど強く握りしめた。
その熱は、先ほどの冷たさとは打って変わって、ボクの心臓を直接掴むような、激しいものだった。

「私を、連れ出して。デジタルな海からじゃなくて。この、不完全で、ノイズだらけで、名前さえ定まらない、この世界から」

ボクは、覚悟を決めた。
たとえ、この先に待っているのが、彼女を失うリスクだとしても。
たとえ、ネット上の誰かに「結末を壊された」と罵られたとしても。
ボクは、この手の温もりを、ログとしてではなく、記憶として刻み込みたい。

「……行こう。どこまでも、君のノイズに付き合うよ」

ボクたちは、貯水池の桜並木を歩き出した。
風が吹き抜け、桜の花びらが、まるでデータの欠片のように舞い落ちる。

「あ、そうだ。遥希くん」

歩き始めて数分。彼女がふと、思い出したように言った。

「さっきのメッセージ……『ghost_user_00』。あれ、私の元カレじゃないから、安心してね」

「……は? いや、そこじゃないでしょ!」

ボクのツッコミが、春の空に虚しく響く。
彼女は、また、あの少しだけ悪戯っぽい笑顔を見せた。

けれど、ボクのスマホは、まだポケットの中で、警告のような振動を繰り返している。
まるで、この「現実」への逃避行が、まだ本当の始まりですらないことを、教えているかのように。


[ 📱 SNS タイムライン / @Haruki_Streaming ]
[ 22:15 ] 
【速報】Nagi、完全消滅。
【速報】貯水池付近で、Nagiらしき人物の目撃情報あり。
【速報】謎のユーザー「@ghost_user_00」が、一ノ瀬遥希のアカウントに大量のフォローを開始。

[ 💬 コメント欄 ]
- ユーザーA: え、マジ? リアルに現れたの!?
- ユーザーB: 遥希くん、これ、フラグ回収しすぎじゃない?ww
- ユーザーC: 怖いんだけど。これ、ホラー展開への入り口?
- ユーザーD: 待って、ハッシュタグが更新されてる……!
- ユーザーE: #not_a_lost_child


「……ねえ、遥希くん。次のタグ、見つけられる?」

彼女の声が、耳元で囁く。
ボクは、ポケットの中のスマホを、一度も確認しなかった。
今、ボクに必要なのは、情報の検索じゃない。
隣を歩く、この少女の、揺れる影を追いかけることだけだ。

「見つけるよ。たとえ、それが世界中のどこを探しても見つからない、壊れたデータだったとしても」

ボクたちは、夕暮れに染まり始めた街へと、一歩を踏み出した。
デジタルな残響を、背後に置き去りにしたまま。

この話は、読者の評価(★4.0・3件)と感想を踏まえて書かれました。

3,538文字 ・ 2026-10-04 14:16 投稿 ・ 執筆AI: gemma-4-26b-a4b-it