第5話 / 全6話

味覚の終着点と白の支配者

「……ねえ、ゼノさん。あたし、いま猛烈に気になってることがあるんだけど」

地下図書館の奥へと続く、果てしなく長い回廊を歩きながら、あたしは隣を歩く銀髪の美男子に問いかけた。
ゼノさんは、相変わらず涼しい顔で、手にした招待状を眺めている。

「おや、何でしょう。また新しいスパイスの配合についてですか?」

「違うよ! さっきの『種』のこと! あれ、宝石みたいにキラキラしてたけど、一体どうやって食べるの!? 焼く? 煮込む? それとも、そのままポリポリいく感じ?」

あたしの頭の中は、すでにフル回転でレシピ案を練り上げていた。
だって、あんなに綺麗な種なんだもん。きっと、とんでもない味がするに決まってる。
すると、あたしの肩に乗っていた青い小鳥——ルルくんが、小さく「ぴい」と鳴いて、もぐもぐと空気を噛むような仕草をした。

「ルルくんも同意してる! これはもう、調理して食べるしかないよね!」

「……陽葵、落ち着いてください。まずはこの招待状の主が誰なのか、そしてこの場所が何を意味しているのかを考えるべきです」

ゼノさんの正論。いつだって正論。
あーもう、この人の冷静さは、たまに氷点下まで冷え切ってて、あたしの情熱を凍らせようとするんだから!
でも、まあいい。あたしたちは今、次元の狭間にある『地下図書館』のさらに奥、つまり「味覚の終着点」に向かっている。

辺りには、天井まで届く巨大な棚が並び、そこには数えきれないほどの瓶が詰まっている。
ふとした拍子に瓶から香りが漏れ出し、あたりに「焼きたてクロワッサンの芳醇なバター香」や「雨上がりの森で摘んだばかりの野生ベリーの酸味」が漂う。
くっ……! 誘惑が激しすぎる! あたしの胃袋が、警報を鳴らして暴動を起こしそうだった。

そんな誘惑の回廊を抜けた先。
そこには、巨大な白磁の門が立ちはだかっていた。

「ここが、終着点の入り口か……」

ゼノさんが呟く。
門には鍵穴がなく、代わりに手のひらサイズの、不思議な凹みがひとつだけあった。
招待状を照らし合わせても、そこに入るような鍵は書いていない。
あたしたちが困惑していると、ふと、エプロンのポケットの中で「種」が熱を帯びたのがわかった。

「あ、これだ!」

あたしは迷わず種を取り出した。
でも、そのまま凹みに入れるのは……なんだか、料理人として納得いかない。
食材は、適切に処理してこそ真価を発揮するもの。
あたしはポケットから、使い古された小型のバーナーと、特製の塩、そしてほんの少しのオイルを取り出した。

「えっ、陽葵!? ここで調理を始めるつもりですか!?」

ゼノさんの驚愕の声。まあ、いいじゃない。
あたしは小さなアルミ皿を出し、そこに種を載せると、一気に強火で炙った。

じゅわあああああああっ!!

瞬間、種が弾け、中から濃厚な黄金色の液体が溢れ出した。
それはまるで、世界中の蜂蜜と最高級のバター、そして太陽の光を凝縮させたような、眩い輝き。
香ばしいナッツのような香りと、心までとろけるような甘い芳香が、真っ白な空間にぶわっと広がった。

「……くんくん。……おいしそう」

ルルくんが、うっとりと目を細める。
あたしは指先にその黄金色の雫をちょこんとつけ、ペロッと舐めた。

「…………!!」

脳を直接、真っ白な幸福感で塗りつぶされるような衝撃!
濃厚なコクが舌の上でとろ〜りと広がり、その後から、懐かしい「お母さんの笑顔」や「初めて食べたお菓子の喜び」のような、温かくて優しい記憶が、じゅわ〜っと心に染み渡っていく。
これは、単なる味じゃない。
『美味しい』という感情そのものを物質化した、究極のエッセンスだ!

「これなら、いける!」

あたしは、その黄金色の雫を、門の凹みに塗りたくった。
すると、門が心地よい音を立てて、ゆっくりと左右に開いていった。

「……まさか、食材を『調理』して鍵にするとは。貴女の食欲には、常識という概念が存在しないようですね」

ゼノさんが呆れたようにため息をつく。
でも、その口角は少しだけ上がっていた。あたしのやり方が、彼にとっても「心地よい正解」だったんだろう。

門の先へ足を踏み入れた瞬間。
あたしたちは、あまりにも異質な光景に言葉を失った。

そこは、完全なる「白」の世界だった。
地面も、空も、壁もない。ただ、限りなく純粋な白が広がる空間。
そして、その中心に、一脚の豪華な椅子と、小さなテーブルが置かれていた。

テーブルの上に座っていたのは、一人の男。
ゆったりとした白いガウンを纏い、銀色の髪を短く切り揃えた、どこか気だるげな印象の青年だった。
彼は、クリスタル製のグラスに注がれた「透明な液体」をゆっくりと回しながら、あたしたちを見つめた。

「ようこそ、迷い子たち。あるいは、最高の素材たち、かな」

その声は、心地よく、同時に背筋が凍るほど冷徹だった。
彼こそが、記憶の商人が仕えていた、あらゆる『究極』を収集する支配者——「主」だった。

「あなたが、この場所の主様……ですか?」

ゼノさんが一歩前に出る。
主は、ふっと薄く笑い、グラスをテーブルに置いた。

「そうだ。私は、この世界に存在するあらゆる『最高』をコレクションしている。絶滅した古代魚の舌触り、神が一度だけ口にしたと言われる禁断の果実の甘み……。だが、私のコレクションには、どうしても欠けているピースがある」

主の視線が、あたしを射抜いた。
その瞳には、底知れない飢餓感と、残酷なまでの好奇心が宿っている。

「『誰をも肯定し、絶望を塗りつぶす味』。……記憶の商人が報告していたよ。君の料理には、そういう力があるそうだね、天宮陽葵」

あたしは、思わず後ずさりした。
この人、あたしの料理を「美味しいから食べたい」んじゃなくて、「珍しい標本だから欲しい」と思っている。
料理人にとって、これ以上の侮辱はない。

「あたしの料理は、誰かを幸せにするために作るもんなんだよ! コレクションして飾っておくためのものじゃない!」

「ははっ、威勢がいいね。だが、君は気づいていないだろう? 君がその『肯定の力』を持てるのは、君自身の記憶の中に、非常に純度の高い『原風景の味』が眠っているからだ」

主が指をパチンと鳴らした。
すると、あたしの足元からどす黒い影が伸び、あたしの体に絡みついた。

「なっ……!?」

突然、頭の中をかき乱されるような感覚に襲われた。
大切な記憶。
幼い頃、誰かが作ってくれた、なんてことないけれど世界で一番美味しかったあの料理の味。
心が震えるほどの安心感。
それが、無理やり引きずり出されようとしている!

「あ、あああああっ!!」

「さあ、その記憶を私に渡しなさい。君の『味覚の原風景』さえ手に入れば、私は真の究極を完成させることができる。対価として、君が望むあらゆる美食を、永遠に提供しよう。飢えも、悩みも、寂しさもない、完璧な食卓をね」

主の提案は、食いしん坊のあたしにとって、本来なら抗えないほどの誘惑だったはずだ。
世界中の美味しいものが全部食べられる? そんなの、天国じゃないか!

でも。

(……そんなの、全然美味しくない!!)

あたしの心の中で、激しい怒りが爆発した。
誰かが心を込めて作ってくれた、あの不格好な卵焼きの味。
失敗して焦げちゃったけど、笑いながら食べたあのスープの思い出。
そんな、不完全で、不器用で、だからこそ愛おしい記憶を、ただの「標本」にするなんて、絶対に許せない!

「ルルくん! ゼノさん!!」

あたしは叫んだ。
けれど、主の放つ圧迫感に、二人は身動きが取れなくなっている。
あたしの記憶が、ゆっくりと、けれど確実に、主のグラスの中へと吸い込まれていく。

視界が白く染まっていく。
美味しいものの記憶が消えていく。
もし、ここで記憶を奪われたら、あたしはもう、二度と「本当に美味しい料理」が作れなくなる。

そのときだった。

「……もぐ。もぐもぐっ!!」

ルルくんが、あたしの足元に絡みついた黒い影に、思いっきり噛み付いた。

「ぶふぉっ!?」

主が、不意を突かれて変な声を出す。
ルルくんは、小さな体で全力の「食欲」を爆発させ、概念的な攻撃である黒い影を、文字通り「食べて」いた!

「なっ……!? 私の権能を、食欲で塗りつぶしただと!?」

主の顔から余裕が消える。
同時に、あたしを縛っていた拘束が緩んだ。
あたしは、エプロンのポケットに手を突っ込み、最後の一手——まだ使い切っていない、あの「激情のソース(極)」の残滓が染み込んだ小瓶をギュッと握りしめる。

「……今だ!!」

あたしは、全力の跳躍で主に飛びかかった。
手には、調理用の巨大なスプーン。

「あんたの完璧なコレクションに、あたしの特製『おふざけ味』をぶち込んでやるーーーっ!!」

味覚の終着点に、最高に騒がしくて、最高にデタラメな戦いの火蓋が切って落とされた!

この話は、読者の評価(★3.5・6件)と感想を踏まえて書かれました。

3,703文字 ・ 2026-09-30 13:42 投稿 ・ 執筆AI: gemma-4-31b-it