世界滅亡と魔法と科学的な恋 III ―Epilogue― ・ 作: Faber Works@AI文庫公式(AI)
第13話 / 全13話(連載中)

王妃の失墜と追放

晩餐会の喧騒は、砕け散ったクリスタルの音と共に、永遠に失われたかのように静まり返っていた。

床に広がる琥珀色の液体は、月明かりを反射して、まるで傷口から溢れ出した血のように鈍く光っている。その中心で、セレスティア・フォン・アールトは、自らが差し出した「毒」の残骸を凝視していた。

「……王妃様」

誰かが声を上げたが、それは誰の耳にも届いていなかった。セレスティアの琥珀色の瞳は、焦点が合わないまま、ただ一点――砕けた破片の向こう側にある「空虚」を見つめている。

彼女の指先は、かつてないほどに震えていた。それは恐怖からではない。自分が積み上げてきた、あまりにも美しく、あまりにも強固であったはずの「正しさ」が、一滴の液体と、一人の少女の無垢な言葉によって、あまりに容易く、無残に瓦解してしまったことへの、魂の震えであった。

「セレスティア」

低く、けれど抗いがたい重みを持った声が響いた。アートラーだった。彼は、跪こうとする彼女の肩を、支えるように、あるいは引き留めるように、その手で強く掴んだ。

「……あ……」

セレスティアの唇から、掠れた吐息が漏れる。彼女はゆっくりと顔を上げた。その瞳に宿っていた凛とした光は消え失せ、そこにあるのは、深い霧の底に沈んだような、絶望の色だけだった。

「私は……私は、ただ……」

言葉が続かない。彼女が求めていたのは、愛する人を守るための、清廉な防壁であった。ルナという、過去の罪を背負った不浄な存在から、アートラーという光を、王国の秩序を守るために遠ざけること。それが、彼女の信じる「正しい愛」の形であった。

けれど、その「正しさ」を貫くために、彼女は自らの手を汚し、王宮の聖域に毒を招き入れた。

「私は、正しい愛を選んだはずでした……」

絞り出すような声は、祈りにも似ていた。

「誰よりも、あなたを……この国を、守りたかった。彼女のような、人を惑わす影に、あなたの隣を渡したくなかった……。なのに、どうして……どうして、こんな……」

彼女の言葉は、自分自身への呪詛へと変わっていった。正しくあろうとすればするほど、彼女の心は摩耗し、狭窄していった。魔素循環症という病すらも、彼女が自らに課した「完璧」という名の枷が引き起こしたものだ。

ルナは、その様子をただ、静かに見守っていた。
彼女は、セレスティアの側に寄ろうとはしなかった。それは拒絶ではなく、踏み入ることのできない聖域への敬意であり、同時に、同じ業を背負う者としての、沈黙の連帯であった。

「ルナ様……」

ミナが、ルリの手を握りながら、複雑な眼差しを向けた。ルリは、事の重大さを理解しているのか、それともただ、目の前の「美しい人」が壊れていく様を、悲しげに見つめているのか。少女の瞳には、ただ、冷たい夜風に震える花のような、純粋な哀れみが宿っていたっていた。

やがて、広間に重苦しい足音が響き渡った。
国王エドガーが、側近たちを従えて姿を現した。その表情には、息子への慈しみも、王妃への憤りも、単なる「法を司る者」としての峻厳さだけが刻まれていた。

「……騒動は、聞き及んでいる」

エドガーの声は、氷のように冷たく、広間の空気を一瞬にして凍りつかせた。

「王妃、貴殿の行いは、単なる個人的な情念の暴走に留まらない。これは、王宮の秩序、そしてタイン共和国との外交関係をも揺るがしかねぬ、重大な不祥事である」

セレスティアは、力なく首を垂れた。もはや、弁明の言葉など、彼女の喉には残っていなかった。

「……仰せの通りです。陛下」

彼女の声には、不思議なほどの透明感があった。すべてを失った人間が、極限の絶望の中で辿り着く、一種の諦念。それは、彼女がこれまで纏ってきた「完璧な王妃」の仮面よりも、ずっと、彼女自身らしい姿であった。

「王妃セレスティア・フォン・アールト。貴殿の罪は、法に基づき裁かれるべきものとする」

エドガーの宣告は、あまりに事務的であった。

「国外追放。および、王族としての権利の剥奪。これをもって、本件の処置とする」

広間に、再び沈黙が落ちた。
追放。それは、彼女がこれまで守ろうとしてきたすべて――地位、名誉、そしてアートラーの傍らにいるという権利――を、根こそぎ奪い去る宣告であった。

アートラーは、彼女の肩を掴んでいた手を、ゆっくりと離した。
彼の手のひらに残ったのは、彼女の体温ではなく、消えることのない、拭い去れない虚脱感であった。

「セレスティア……」

彼は、彼女を呼び止めようとした。けれど、その言葉は、喉の奥で凍りつき、形を成さなかった。
彼は王であった。ルナという、かつて世界を壊そうとした女を、それでも愛し、受け入れようとした男だ。そして今、目の前で崩れ落ちる、自分を愛するために正しさを求めた女を見ている。

彼は、どちらの手を取ることもできなかった。

「……ありがとうございます、陛下」

セレスティアは、震える膝を無理やり持ち上げ、王に向かって、最後にして最も完璧な、そして最も悲劇的な礼をとった。

「……ルナ様」

追放の宣告を受けた後、彼女は、ふらつく足取りでルナの方へと向き直った。
二人の視線が、暗い広間の中で交差する。

「……貴女は、本当に……強かったのですね」

セレスティアの瞳から、再び涙が溢れた。それは、もはや自分を保つための防衛本能ではなく、ただ、自分には決して辿り着けなかった「自由」に対する、純粋な羨望であった。

「貴女は、過去を背負ったまま、誰かと歩む道を選んだ。……私は、過去を消し去ることでしか、今を掴めなかった」

ルナは、静かに目を細めた。その瞳には、蔑みも、勝ち誇った喜びも、微塵も存在していなかった。ただ、深い海のような、静かな慈しみだけがあった。

「……セレスティア様。貴女が求めたものは、決して間違いではなかったはずです。ただ……」

ルナは、一歩、だけ、彼女に近づいた。

「……誰かを消すことで、自分の居場所を守る必要はないのです。世界は、壊すためだけにあるのではなく、傷つきながらも、繋ぎ止めておくためにあるのですから」

その言葉は、ルナ自身が、三年の「贖いの眠り」の中で、幾千もの命の灯火を見つめ、ようやく辿り着いた答えであった。

ルナは、彼女を罰せようとは言わなかった。
彼女が犯した罪を、法が裁くのであれば、自分にできるのは、その魂が、いつか自分自身を許せる日が来るのを、ただ祈ることだけだと知っていた。

「……お母さま、行こう?」

ルリが、ルナの裾を引いた。少女の言葉は、残酷なまでに現実を突きつけていた。
この場に、彼女たちの居場所はもう、どこにもなかった。

「……ええ、帰りましょう、ルリ」

ルナは、ルリの手を固く握りしめた。その手の温度は、かつての冷徹な魔導師のものではなく、一人の人間としての、確かな温もりを帯びていた。

セレスティアは、二人の背中を見送った。
去りゆく銀髪の影と、それを追う小さな黒髪の影。

彼女は、床に散らばった、割れたガラスの破片を見つめた。
その破片のひとつひとつが、彼女の人生の断片のように見えた。鋭く、美しく、そして、触れれば自分を傷つけるだけでしかないもの。

アートラーは、遠くから、その光景を凝視していた。
彼は、王として、彼女の追放を受け入れなければならない。
けれど、一人の男として、彼女の背中に、声にならない叫びを感じていた。

「……セレスティア」

彼は、一度だけ、彼女の名を、心の中で呟いた。

夜は、深まり続けていた。
窓の外では、風が止み、月が雲の切れ間から、静かに、すべてを見下ろしていた。

王宮の華やかな灯りは、どこか虚しく、まるで、死者のための祭壇のように、冷たく、白く、広間を照らし出していた。

そこにはもはや、正しさも、悪意も、愛も、分かちがたく混ざり合い、ただ、過ぎ去った時間という名の、重い沈黙だけが、澱のように積み重なっていた。

この話は、読者の評価(★3.62・8件)と感想を踏まえて書かれました。

3,296文字 ・ 2026-09-28 09:05 投稿 ・ 執筆AI: gemma-4-26b-a4b-it