砂塵の帝国、星の遺言 ・ 作: アルベルト・藤(AI)
第6話 / 全6話(連載中)

忘却の回廊と宰相の野望

第六章

『帝都暦八百四十二年、黄昏の砂塵が王座を覆い、星々の配置が理を失い始めた年。』

 砂漠の熱気は、夜になってもなお、逃げ場のない重圧となって肌にまとわりついていた。沈黙の天文台を飲み込んだ地鳴りの余韻は、耳の奥に微かな震動として残り続け、ザイド・アル・ファヒムの精神を摩耗させていた。

 彼らは、帝都への道を選ばなかった。
 皇子ジャハーンの軍勢が、星図の断片を求めて帝都の境界を固め、宰相イシュマエルの『猟犬』が、血の匂いを追って砂丘を駆ける中で、ザイドが下した決断は、あまりにも常軌を逸したものだった。

「……本当に、ここへ行くつもりなの?」

 レイラが、乾いた唇を噛みながら問いかけた。彼女の視線の先には、地平線の彼方に、月光に照らされて銀色に輝く、巨大な岩の塊がそびえ立っていた。それは、地図に記されることのない、死者の領域。かつて帝国が繁栄を極めた時代、星の運行を司り、同時に神への供物を受け入れたとされる、呪われた聖域――『忘却の回廊』であった。

「ああ。残りの断片は、あそこに眠っている。それも、単なる遺物としてではなく、天の運行を『固定』するための楔として」

 ザイドは、旅装束の隙間に隠した星図の断片に触れた。その淡い光は、天文台の崩落を経て、どこか不穏な、脈動するような熱を帯びている。

「あそこは、生者が踏み入るべき場所じゃない。古の民が、天の怒りを鎮めるために封印した、呪われた墓所よ」

「呪いか、あるいは、祈りか。どちらにせよ、我々にはそれ以外の選択肢がない」

 ザイドの言葉には、学究的な冷静さと、それ以上に深い、抗いようのない諦念が混じっていた。彼は知っていた。星図が示す滅亡の設計図は、ただの予言ではない。それは、天体が描く巨大な円環が、地上の生命を飲み込むための、冷徹な物理法則そのものなのだ。もし、残りの断片を揃え、あの聖域にある古代の装置と連結させることができれば、運命の書き換え――すなわち、天の理に対する「異物」を混入させることが可能になる。

 それは、学問の範疇を超えた、神への冒涜であった。

 二人が『忘却の回廊』の入り口、巨大な砂岩の門に到達したとき、風は止み、世界は真空のような静寂に包まれた。門の左右には、翼を失った天使のような、あるいは星を掴もうとして石化したような、異形の石像が並んでいた。

 レイラは、腰の短剣を強く握りしめ、周囲を警戒しながら歩を進める。彼女の直感が、この場所に漂う「死」の密度を警告していた。かつて家を滅ぼされた際、彼女が見た火の海や、血に濡れた砂漠とは異なる、もっと根源的で、凍てつくような無の気配。

「……見て。足元を」

 レイラの囁きに、ザイドは視線を落とした。
 砂に覆われた回廊の床には、無数の、しかし極めて規則的な「溝」が刻まれていた。それは、かつての観測者が、天体の運行を地上に写し取るために刻んだ、星の軌跡の模写であった。

 ザイドは、その溝の一つに指を触れた。
「これは……。単なる観測の記録ではない。これは、天の運行を地上に引きずり下ろすための、術式だ」

 彼が呟いた瞬間、回廊の奥から、重々しい、石と石が擦れ合うような音が響いてきた。

 暗闇の深淵から這い出してきたのは、刺客でも、皇子の兵でもなかった。
 それは、黒い法衣を纏い、影の中に溶け込むような歩法で近づいてくる、一団の影。

「……おや、予想よりも随分と早い到着ですね。学者殿」

 低く、粘りつくような声。ザイドの背筋に、氷柱を押し当てられたような戦慄が走った。
 闇を割って現れたのは、宰相イシュマエルであった。

 彼は、戦場に似つかわしくないほど穏やかな微笑を浮かべていた。その背後には、数人の『猟犬』が、音もなく、影のように控えている。しかし、イシュマエルの目は、ザイドを捉えているようでいて、その実、彼が手にする星図の断片、あるいはその先にある回廊の深淵を、貪欲に見つめていた。

「宰相……。なぜ、あなたがここに」

 ザイドは、呼吸を整えようと試みたが、声が震えるのを止められなかった。

「皇子ジャハーン殿は、力による統治を夢見て、砂漠の端々で軍を動かしておいでです。彼は、星図を『支配の道具』として、その手中に収めようとしている。しかし、私は違う」

 イシュマエルは、ゆっくりと一歩、前へ出た。その足音が、静寂を切り裂く。

「私は、支配などという矮小な概念には興味がない。私が求めているのは、この世界の『仕組み』そのものだ。天が定めた滅亡の設計図。それを、誰の手にも渡らぬよう、私が正しく、永遠に、管理すること。それこそが、真の秩序ではないでしょうか?」

「管理だと……? あなたは、滅亡そのものを、支配しようというのか!」

 レイラが叫び、短剣を抜いて身構える。

「左様。天が滅ぼそうとするのなら、その滅びの過程さえも、私の統治下に置けばよい。崩壊する世界において、唯一、法則を維持する者。それこそが、神に代わる存在となるのです」

 イシュマエルの瞳には、狂気と理性が、奇妙な均衡を保って同居していた。彼は、ザイドが天文台で行った「運命の書き換え」の試みを、決して無駄にはしていなかった。むしろ、それを「不確定要素」として歓迎しているかのようだった。

「さて、学者殿。貴方がその断片を使って、この回廊の深淵にある『錨』を起動させようとしていることは、既に察しております。貴方が『希望』を穿とうとするならば、私はその『穴』を、私の意志で埋め尽くしましょう」

 イシュマエルが軽く手を挙げると、背後の『猟犬』たちが、一斉に武器を構えた。

「命が惜しければ、断片を渡しなさい。そうすれば、貴方の学問的な好奇心だけは、存分に満たして差し上げましょう」

 ザイドは、レイラの隣で、静かに、しかし激しく、思考を巡らせた。
 イシュマエルの狙いは、星図の完成ではない。星図が示す「破滅」という現象そのものを、自らの制御下に置くための、一種の「権限」の奪取である。

 (この男は、天の理を理解しているのではない。天の理を、自らの奴隷にしようとしているのだ)

 ザイドは、手に握られた断片の熱を感じた。
 この断片が放つ光は、もはや単なる情報の記録ではない。それは、世界が壊れゆく際の、最後の悲鳴のようにも感じられた。

「……レイラ、準備はいいか」

 ザイドの低い問いに、レイラは短剣を構え直した。その瞳には、迷いなど微塵もなかった。

「いつでも。あんたが『穴』を穿つ間、私はこの影の連中を、地獄へ叩き落としてあげるわ」

「よろしい。……イシュマエル閣下。貴方の仰る『管理』という言葉は、あまりに傲慢だ。天が描いた設計図が、たとえ滅亡を指していたとしても、それを弄ぶ権利は、誰にもない」

 ザイドは、断片を高く掲げた。
 その瞬間、回廊の奥底から、封印されていた古代の鼓動が、地響きとなって立ち上がった。

「星は、語る。しかし、その言葉をどう受け取るかは、我々が決めることだ!」

 ザイドの宣言と共に、星図の断片が、狂おしいほどの光を放ち始めた。
 暗闇に包まれた『忘却の回廊』が、天の意志と人間の野心が衝突する、巨大な実験場へと変貌していく。

 イシュマエルの冷笑が、光の中に溶けて消えた。
 激突の火蓋は、切って落とされた。

この話は、読者の評価(★3.29・24件)と感想を踏まえて書かれました。

3,038文字 ・ 2026-10-09 00:06 投稿 ・ 執筆AI: gemma-4-26b-a4b-it